jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

自転車用オシャレヘルメットでもいいが,要は「アゴヒモをきちんと着ける」ことが大事と認識

2023年4月。いよいよ自転車のヘルメット着用の「努力義務」が始まった。

 まずこの努力義務という言葉に対して一言。「努めなければならない」という意味だとすると,本当に意味不明な言葉である。こんなことを言っていたら,世の中何でも努力義務である。「勉強するよう努めなければならない」「仕事をするよう努めなければならない」「人を殺さないよう努めなければならない」「廊下を走らないよう努めなければならない」などなど。当たり前なことを,あえて仰々しく言っているように見える。これなら義務教育すら「努力義務教育」である。実際,義務教育だったら,権利として無償で教育を受けられる必要がある。今ごろ,給食を無償にしようだとか言っているのはおかしい。

 「着用義務」にすると,自動二輪や原付と同様,「免許」が必要になるように思える。自転車には免許がないから,ヘルメットの着用義務にできない。義務を守らなかった時の罰則を作ることが,免許との引き換えにならないからである。これだと,いつまで経ってもヘルメットを被る人は出て来ないことになる。筆者としては,はっきりと「着用義務」とし,その代わり最低限のヘルメットは無償で提供し,ヘルメットなしで乗車した場合は罰金を取る,という具合にしてもいいと思うのである。

 「努力義務」だと,被る被らないは自由だし,事故を起こしてケガや死亡をした場合は自己責任ということになる。そうすると,「自転車保険の義務化」と矛盾が生じる。ただ,自転車保険が2020年10月1日に義務化された際には,ヘルメット着用に関しての要件はなかった。ならば,ヘルメット着用を前提とした保険料を安くするとか,保険金を倍額支払うとか,「努力」に対応した補償を提示すべきではないのか。

 自転車ヘルメットへの疑問 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/3/17 の中で,ツーリング用ヘルメットを購入したことを書いたが,今日,県議会議員期日前投票のために自転車ででかけた際にヘルメットを初めて着用した。午前中は天気がよく,風は最初強くて寒かったが,途中で暑くなってしまった。

 この中で気が付いたのは,まず頭にぴったり合うようにインナーを調整すると,多少風が強くてもヘルメットがあおられることがないことである。また,アゴヒモをきちんと着けることで,ヘルメットが安定する。さらに,暑くなってもツーリング用ヘルメットは空気の通りがいいため,頭が暑くなったり蒸れたりすることがなかった。また,非常に軽量なので,持ち歩いたときもそれほど邪魔に感じなかった。

 筆者は30年前に5年間ほど,原付と自動二輪を運転していた。最初の原付時代はジェット型というアゴがオープンなヘルメットを使っていた。中型バイクの免許を取得してからは,フルフェースのヘルメットを愛用した。幸い,事故は一度も起こさず,ヘルメットに衝撃が加わることはなかった。しかし,バイク用のヘルメットは結構重い。持ち歩くときもかさばるし重い。スピードを出せば,風圧で頭を押され,首が疲れてくる。夏場はヘルメットの中が暑く,頭に汗をかく。雨は入ってこないが,バイザーは濡れるし,内側は曇りやすい。今は,換気口のあるバイク用ヘルメットも多く売られているが,当時はほとんどなかった。

 このバイク用ヘルメットに比べると,ツーリング用ヘルメットは軽くて持ち歩きにも不便ではなく,頭は涼しかった。雨のときに乗るなら,レインコートを頭から被ればいいだろう。というわけで,ツーリング用ヘルメットを採用したのは正解だったと思うのである。

 ところが世の中では,このツーリング用ヘルメットに対して筆者以上に否定的に捉えているようである。前回,提案したような防災用ヘルメットやキャップに似せたオシャレヘルメットが“オススメ”みたいに報道されている。しかし,遠目は普通のキャップとキャップ型ヘルメットの区別はつけにくい。

 キャップ型ヘルメットやオシャレヘルメットでも構わないが,今日の経験からすると,アゴヒモをきちんと着けることが必要だと思うのである。しかし,アゴヒモは面倒だし,見た目も良くない。アゴヒモを固定せずに乗る人が多くなるのではないかと懸念する。というのも,アゴヒモをきちんと着けないと,事故時にヘルメットがずれたり外れたりして,役に立たないと思われるからである。

 そんなことを考えながら投票所を往復した。途中でおそらく100台ほどの自転車を見かけたが,ヘルメットを着用していた自転車は2台しかなかった。都心などと比較するとクルマは少ないが,自分で転倒する危険はないわけではない。せっかく「努力義務」が出されたのだから,着用して「努力」していることをアピールすることが運転者の義務だと思うのである。着用しないことは,努力していないことをアピールしていることになる。

 罰則のないルールは,結局,個人の判断に任される。新型コロナウイルスのマスク着用と同じである。結局,着用を努力している人が,着用していない人に対してイライラし,注意すると逆ギレされ,だれも助けてくれない。

 相変わらず,車道の右側を走る自転車,歩道を全速力で走る自転車,横断歩道や信号で停まらない自転車が多すぎる。ヘルメットを着用することで,交通ルールも遵守しようという気持ちも強くなる。ヘルメットなし,アゴヒモなしで走っている自転車に対しては,交通警察がきちんと注意して指導すべきだと思う。しかし,「努力義務」がスタートしてすでに1週間が経過したが,自転車に対して指導している交通警官を一度も見かけていない。やはり,「着用義務」にすべきなのではないだろうか。