筆者は現在,個人的な理由で自宅でもなく会社でもない場所で過ごしている。当初,ここに入所する際,「Wi-Fiは使えますか?」と訪ねた。使えると聞いて安心し,モバイルWi-Fiは持って来なかった。最初,提示されたSSIDとパスワードを入れてつながらず焦った。モバイルWi-Fiを持ってきた方が良かったかも,と思ったが,もう一度やり直してうまくつながった。ホッとした。
インターネットにつながっていることの安心感は,個人のPC上で完結できない調べ物がネットワーク経由で情報を入手できるからだと気づいた。これまでもgoogle検索を多様しているし,リアルタイムで起きているニュース情報や天気情報などは,ローカルのPCではできない。そこにメディアの役割がある。
ところが,現在世界中が浮かれている「生成AI」は,既存の情報を組み合わせて新しい情報に見せかけているニセ情報を作り出している。人間だったら絶対に組み込まないアンチな情報まで組み込んでそれらしく見せることもできる。
今,このブログを書いているとき,過去に自分が書いたブログを検索するためにはネットにつながっている必要がある。また出来上がったブログをアップロードしたり,途中で保存したりするのに,ネット接続は不可欠である。だからWi-Fiを必要としているのであって,あくまでも情報を生成しているのは,このブログの筆者であり,AIではない。
生成AIが流行る理由は,人間が自分の主体性を失ってきているからなのではないだろうか。主体性がないとき,人間が頼るものといえば宗教である。生成AIの作り出すニセ情報がいかにもありがたいものに思えて,崇拝しようとしているのではないだろうか。
宗教も,作り出した人間の意志の入った教義がある。生成AI教は,インターネット上のあらゆる情報を思想の素材として利用している。そこに生成AIを作る人間の意志が反映され,あるいは望ましくない人間の意志が反映され,そしていずれ生成AIが忖度しながら偏った情報を提供するようになれば,これはもう人間堕落である。
かつて,Wikipediaに書かれた情報は「信頼性が低い」として論文やメディアで引用することを避ける動きがあった。正直,1つの項目でこれほど深堀りした情報源はかつてなく,実際,その分野を研究したり情報収集していた人がボランティアでアップした情報が中心なので,絶対的な正確さの保証は確かになかった。しかし,おそらく現在は,Wikipediaで情報を得て,そこからオリジナルの情報源に行って情報を確定する,という流れを作り出したと思われる。間違った情報がアップされていても,それを利用する人からの指摘を受けて日々修正が加えられ,より正確な情報になっていることは確かだと思う。すでに1つのメディアとして認識されていると思う。
一方,生成AIで導き出された情報は,その情報源がインターネット上の全域に渡る。だれがアップした情報か,それを修正されることなく,組み込んでしまう危険性を持っている。
かつて,「人工知能」という言葉ができたとき,これのパロディーで「人工無能」という言葉があった。パソコン上のフリーソフトでネットにつながっていなくても,質問を入れると,その質問とは関係のない返事が返ってきて,思わずクスッと笑ってしまうような癒し系の対話型ソフトだった。画面上にそれらしいキャラクターが動いたりもした。「無能」と言っても,たとえば現在の時刻をベースに話題を提供してくれたりした。仕事には役立たないが,ある意味で役に立っていた。
現在の生成AIは,人工無能よりもはるかに高度な処理をしているかもしれないが,所詮は「無能」である。その「無能」の言うことを信じてしまう人間は,機械以下ということになる。
現在のネット上では,詐欺やインサイダー取引など,犯罪を行っている人たちがある意味で凡人の計り知れない“知性”で凡人を騙し,一人勝ちしている。警察組織とのいたちごっこになっているのは,犯罪者が知性で警察を上回っているからである。生成AIは,この犯罪者の知性を越える必要がある。レベルが同じだとしても,少なくともその動きより速く判断して,犯罪を未然に防げる実力が必要である。そういうところにAIを使うべきなのだと筆者は考える。
オレオレ詐欺を防げる応答装置,多額の現金振り込みをさせないATM,犯罪者を通さない自動改札機,犯罪が起きた周辺でクルマでの逃走を防げるクルマなどが必要なのかもしれない。さらに,紛争現場で人的被害を起こす攻撃を未然に防ぐコントローラーなども必要かもしれない。新しい使い方の提案が出てくることを望む。