筆者はオリンピック競技は基本的に視聴しない派である。見るとするとマラソンぐらい。あとの競技は勝ち負けの決まり方や一瞬で逆転される場面が多く,期待と失望の落差が激しいので,精神的に良くないと感じるからである。
さらに言えば,これほどナショナリズムを前面に持ち出す大会はほかにはない。国ごとの日ごとのメダルの数を数えてランキングを出す。格上に勝ったと言っては喜び,格下に負けたと言っては悲しむ。どの競技も同じように国同士の争いになり,会期中,それが繰り返される。
期待された選手が敗退し,話題にもならなかった若者が勝利して脚光を浴びる。すでに柔道,水泳,テニス,卓球など複数の競技で第一人者が敗退するニュースが流れており,その瞬間を見るのは忍びない。ニュースで結果だけを聞いて淡々と判断している。
野球の大リーグの試合でも,中継するのは日本人選手の場面だけである。チームが負けようが日本人選手の活躍している場面さえ注目すれば視聴者は満足するらしい。これもニュースで結果が分かれば済む。
走競技の中では,マラソンは駆け引きが面白いので視ている。最後に一発逆転などということは滅多に起こらない。トップ選手たちの走りは見ていてもワクワクするほど美しい。あらゆる瞬間で街の景色が変わるのを見られるのも楽しい。日本にはこれに加えて駅伝競技があって,正月は家でゆっくり楽しんでいる。オリンピックにも駅伝があれば視聴するだろう。似たような長距離競技にトライアスロンがあるが,これはまさに鉄人競技であり,マラソンや駅伝の長距離ランナーのイメージとは異なる。水泳も自転車も,筋肉がモノを言う競技だからである。ムキムキの選手を見るのが嫌いなのかもしれない。
時代が変わって,どんどん新しい競技が加わってきた。スケートボード,サーフィン,クライミングは東京オリンピック2020で初採用されたが,パリオリンピック2024ではブレイキン(ブレイクダンス)が加わった。もはや筆者には理解しがたい状況になっている。一方で,東京オリンピックで行われた野球やソフトボール,相撲,テコンドーなどは無くなった。主催国は,自国に有利な新競技を提案できるプロセスがあるからなのだろうが,選手にとっては気が気ではない。
ロシアの不参加で,オリンピックによるウクライナ情勢に変化はなかった。スポーツを通じて,豊かな国と互角に戦える場としてのオリンピックだが,豊かさの質も変わってきた。エネルギー利用を抑制しなければ地球が持たない。そんな時期にスポーツで浮かれていていいのか,とも思いたくなる。気候変動の一端が,開会式の雨だったようにも見える。これが豪雨だったらどうだったろうか。東京オリンピック2020と新型コロナ,および猛暑日,パリオリンピックと雨。今なにをすべきなのだろうか,と考えさせられる。
イベントがあるたびに,そこ土地にリアルに旅行する人たちを見て,この人たちは平日に仕事もせずに海外旅行を楽しんでいて,いわゆる不労所得者なのだろうと思ってしまう。若いころに一財産を築き,早めにリタイヤして,悠々自適の人生を送っている。財産が勝手に利回りで財産を生み出し,投資でいくら損をしてもそれを取り返せるだけの元手があるのだろう,と思ってしまう。都内で売り出された高齢者介護付きマンションが16億円で,経営者や資産家,富裕層向けだとはっきり言われると,時給で50円上がった上がらないでキュウキュウとしている庶民の人生はもはや地獄である。
かつて,野球やサッカー,バスケットボールは,街中で生まれたストリート競技だった。そういう意味ではブレイキンもストリート競技であり,スケートボードもクライミングも同じ流れかもしれない。ただこれが個人競技であり,チームプレイも団体競技もないとなると,国技にまでは拡大しないだろうと予想する。
マスコミや評論家,そして一般国民という外野の期待を背負って,そのプレッシャーで潰れていく選手を見るのが辛い。勝てばヒーロー,負ければ無視,というメディアの策略には乗りたくないという理由もある。
とは言っても,みんな頑張って活躍してほしいし,自分のベストを尽くして競技や他国との選手の交流を楽しんでほしい。それぞれの人生,頑張ってほしいし,その頑張る姿が一般国民の日々の活力になっていることも確かだと言いたい。