選挙のたびに街角に立てられるポスター・パネル。筆者の家の近くでおかしな光景を見かけた。それは,駅前のロータリーの中央の島にパネルが設置されているのである。
この島は,人が渡ることがない。ただの緑地帯で,その周りはクルマしか通らない。つまり,このポスター・パネルの前でポスターを読むことができないのである。たしかに,駅にクルマで向かっているときは正面にパネルが見えるが,ロータリーの手前の横断歩道で一旦停止しなければならず,とてもポスターを見る時間はない。ロータリーから出る場合も同様である。このパネルにポスターを貼るために,少なくとも候補者の数だけの係員が車道で作業をしていたことになる。
それはともかく,この選挙ポスター・パネルにはいつも疑問を感じていた。前記の駅前ロータリーもそうだが,通学路の畑に設置されたりする。子供は通る道だが,親が通るのは一部のように思える。設置場所は,どういう基準で作られているのだろうか。1自治体で数百枚のパネルを設置する必要がある。パネルを設置するのは地元の看板業者である。毎年のように設置しては撤去を繰り返す。選挙のたびにパネルの大きさも変化する。かといって,選挙期間中に風で倒れてはならないから,いい加減な設置はできない。費用もバカにならないように思える。自治体から業者に払われるので,原資は地方税である。
2024年の東京都知事選挙では,このポスタージャックが行われた。公職選挙法の穴をついた形で違法ではないが,社会的常識を欠いていることは間違いない。
一方,選挙のたびにNHKは候補者の政見放送を流す。NHKの各地方局単位での放送時間帯なので,他県の候補者の政見放送も含めて通常番組の時間帯を割いて延々と放送される。他県の候補の政見放送は,少なくとも見る必要を感じない。これも公職選挙法に従っての放送なのだが,NHKは既得権益と捉えているだけで,矛盾を感じないのだろうか。このテレビ政見放送でもジャックが行われた。公序良徳に反するような内容が報じられた。あらかじめ録画していたはずだろうが,止める手立てはなかったのだろうか。
IT時代の候補者のプレゼンテーションとして,このポスターと政見放送はほとんど見られていないと感じる。有権者が情報を知るのは,自治体が配布する選挙公報か,新聞の候補者欄など,各家庭に配られる紙資料だと思われる。だが,新聞は契約件数が激減している。紙としては,ポスターも新聞広告もやめて,自治会の公報だけでいいような気がする。
映像のプレゼンテーションは,インターネット上で自由な時間に閲覧できるようにした方がいいと思える。第一印象で候補者を決める可能性もある。主張を聞き直せる動画配信でいいと思われるのである。
選挙公報は作文、政見放送や街頭演説はパフォーマンスである。文章の上手さや語り口の上手さに誤魔化されやすい。公報の文章を良く読み、他の候補と見比べる時間が欲しい。比較する順序も自分で決めたい。
投票の電子化はなぜ進まないのだろうか。これこそ、マイナンバーの出番ではないのか。マイナンバーの運用をベースに、公職選挙法も時代に合わせて改定、あるいは新規制定をする段階ではないのか。