jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

ルール破りではなく、そもそも「ルールとして認知できない」と思わないとやっていられない

新型コロナウイルス禍の中での多人数での会食やカラオケ、右折レーンに入ってのウインカーなし、など、これまで筆者が気になる社会現象に対して「なぜルールを守れないのか」という視点でブログに綴ってきた。「先生」と呼ばれる人たちが平気で犯罪を起こすことをあきれて指摘してきた。

今日は、大阪市の職員1000人が5人以上での会食をしていたという報告のニュースを聞いた。

 「正直、コメントするのもバカらしい」といつも書いてきた。しかし、そもそもだれが何を言っても、こういう人たちには馬耳東風なのだろう。そう思わないとやっていられない,と思うようになってきた。

 ルールというのは,トップダウンで決められるものである。ルールで縛られる対象の人は,そのルールの意義を理解し,ルールそのものを認識し,受け入れて初めて成り立つものである。全員で話し合って作ったルールでも,普通は全員一致で作るわけではなく,多数決で決めるので,受け入れられないと思っても仕方ないという立場の人もいる。トップダウンで作られたルールに従わない人は,そのルールに反対な場合もあるが,そもそもルールの意味を認識できない,あるいは「認知できない」のではないか,と思って納得せざるを得ないのかもしれない。

 これを「ルール認知症候群」と定義するのはどうだろうか。

 その昔,アルコール中毒と呼んでいた人たちは,現在は「アルコール依存症」という精神的な病気であるというのが認識である。タバコをやめられない人たちは「ニコチン依存症」であり,タバコ使用<喫煙>による精神および行動の障害 依存症候群として精神障害に分類されている,という。本当の薬物は,脳の機能そのものを破壊するが,合法と呼ばれている薬物への依存の多くは,精神障害ということになる。

 万引行為も依存性がある。このうち,万引き依存症(クレプトマニア)という精神疾患のケースもあるという。万引をしてはいけない,と認識していてもやめられない,という。性犯罪も,犯罪と認識していてもやめられない,ということで精神障害と言えるだろう。とすると,「ルール認知症候群」は,ルールを認識できないということなので,この方がもっと厄介だということになるかもしれない。まさに筆者も恐れる「認知症」の一種なのかもしれない。

 交通ルールにも,たしかにあまり納得できないものがあるが,自分勝手に融通を効かせると警察のご厄介になることになる。たとえば,右折の際に右のウインカーを出すというのは運転のルールだと思うが,筆者は,ルールだから合図を出すというより,合図を出すことで周囲に自分の行き先を知ってもらい,自分の安全を確保したいという気持ちがある。しかし,運転免許を取るためにさんざん練習している間に,ルールなど考えなくても自動的に動作が出るようになっている,というのが現状で,したがってこの動作のないドライバーに対して「おかしいんじゃないの?」と疑問が出てくるわけである。

 マスクを着用する,というのが2020年,2021年のルールである。多くの人がこのマスク着用をルールとして認識し,それを守ろうとしている。しかし,マスクをしない人がそれなりにいる。筆者は,このマスクをしない人を理解できないのだが,今マスクをしない人は,「マスクをすることがルールであるということを認めない自分なりの理屈を持っている」のだと思っていた。

 しかしどうも,「マスクをすることがルールであるということを認識できない」人なのではないかと考えられることに気がついた。反対しているのではなく,意識していない。意識していないから,いくら人から言われても認識できないし,「人から言われた」という事に反感を覚えて反発する,ということのようである。つまり,理屈で反発しているのではなく,思考そのものができない状態になっているのではないか。

 アルコールを摂取していると,理性がなくなるとよく言われる。一時的に精神状態が普通ではなくなるからである。クルマのハンドルを握ると人格が変わる,という人がいる。運転をしていると自己中心になり,周りのことが見えなくなるからである。

 ということで,ルールが認知できない状態なので「ルール認知症候群」ということになる。

 犯罪に対しては,ただ拘束するだけでなく,更生という訓練を受けて社会に復帰できるようにするパスがある。しかし,更生訓練を経て出所しても,社会からの視線そのものにバイアスがあったりすると,また元の状態に戻ってしまうことも多いという。タバコもアルコールも,意識してもなかなかやめるのは難しい。世の中から犯罪がなくならないのは,ヒトの精神的な不具合によるものではないか。

 ヤンチャな人は,死ぬまでヤンチャであるとよく言われる。性格は,基本的には死ぬまで変わらない。ルールを認識するのは,理性である。その程度次第で,人は変わったり変わらなかったりする。逆に,理性がブレーキになりすぎて面白くなくなることもあるかもしれない。

 第四波+変異型ウイルスが猛威を奮ってきている今,ルール認知症候群の人をどう制御するかが感染拡大防止の決め手となると考えると,これを精神的な病として隔離して教育するしかないのではないかと思ったりする。ルール破りを犯罪として捉えるのではなく病として捉えることで,隔離できるのではないか。しかし,通常の認知症と同じように,本人が自覚できないのが厄介である。更生もしないような気がする。

 強力な自己主張は,多くの反発を招く一方で,多くの賛同が得られることも事実である。しかし,その賛同の裏側には,お金であったり地位であったり身の安全であったり,そのような保証によるものが多い。独裁国家は,反対勢力を力で封じ込める。協力者を金や地位で保証する。

 金は出さないが口だけ出す,という政府や自治体の姿勢が,国民からは支持されないことにつながりつつある。コロナ禍で協力金を出してくれない政府や自治体に対する求心力はどんどん低下している。一方,仮に野党が海外の製薬会社と独自に交渉してワクチンを入手できることなどが実現すれば,国民は快哉を叫ぶだろう。定価分は国が払い,差額は野党が払う,といった交渉でもできるのではないか。口だけ出して何もしないのは,評論家と同じである。