安倍元総理のお別れの会が,「国葬儀」という形で2022/9/27に挙行(強行)された。参列者は4100人と招待者の2/3に留まった。一方,一般献花は2万6000人と,予想の3倍にも達した。予定より1時間早く整理券を発行し,列に並べる時間も1時間繰り下げて17時までとしたが,そこから献花までが4時間待ちだったという。列に並ぶことができない人も多くいたようだ。
天気にも恵まれ,一般参列者も増えたのかもしれないが,筆者にとっては意外なほどの参列者数になった。地方から来たという人もいた。身内の法事でも,なかなか参加できないこともある。よほど関係のあった人なのかもしれない。
結局,強行されたか,という思いが強い。強行した岸田首相自身は,葬儀委員長としての挨拶が「官僚の作文だ」と批評され,友人代表の菅元首相の挨拶と比較されてしまうことになった。2日間で30ヵ国もの代表と弔問外交する必要もあり,自分の言葉で書けなかったのかもしれない。
結果として強行された葬儀だが,民主主義国家としては大失敗だと言えるだろう。閣議で独断的に決定し,国会での議論も行われず,強行された。「やったもん勝ち」である。行政府が独走すれば法治国家ではなくなる--ただちに「国民葬」に変更し,クラウドファンディングで費用を集めることを提案 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/9/27 と書いたが,法治国家でなくなるのと同じぐらいの蛮行だったと思う。
臨時国会が10/3から始まるのに先立って,国会閉会中にどうしても葬儀を執り行わなければならなかったというのが理由の一つであるような気がする。また,本来なら各国を訪問して要人と会談しなければならないことが山積しているが,それには日程調整に時間もかかるし,自分が移動するのも時間を取られる。国葬として一度に多くの国の要人が来日してもらった方が時間の節約にもなる。警護のお金がかさむが,これも国葬とすれば税金で賄うことができる。何かこうした諸々の事情も,国葬として強行せざるを得なかった理由なのではないだろうか。
やった後で,「やはりルールを作るべきだ」とか,さまざまな意見が自民党内部からも出ている。いかにもズルい。すでに個人的には葬儀は済ませているのだから,あえてこの日にする必要もなかったのではないか。武道館の空いている日を押さえたから,という理由もあるのだろうか。
岸田首相は,ゆっくりと言葉を選びながら話をすることで,当初はていねいな説明をしようと努力していると感じていたが,ボロを出さないための慎重に言葉を選んでいるに過ぎない,ということなのではないか。「しっかりと」が必ず出てくるのも,岸田節の特徴だが,意見を聴いても聞かない(効かない),つまり物理的には音としては聴いていても,自分の考えを変えることはしない,ということのようである。これでは権威主義国家と同じである。また,立法府を無視して推し進めることに民主主義を感じないし,法治国家であることも感じない。好き勝手に物事を推し進めるのであれば,それは民衆にとっては脅威であり,つまりテロ行為である,とも思えるのである。
9/28に北朝鮮がミサイルを日本海に向けて発射した。正直,いつでも日本を攻撃できる準備はできているという挑発だが,まだ挑発行為があるだけマシかもしれない。少なくとも「話し合いで交渉する余地はあるぞ」と匂わせているからである。本当のテロ国家なら,アルカイダがアメリカの貿易センタービルに航空機を突っ込ませて崩壊させたように,何の前触れもなく攻撃してくるだろう。その意味では,日本の真珠湾攻撃もテロだったし,現在のロシアのウクライナ侵攻もテロである。交渉を引き出す手段としてではなく,明らかに侵略しようとしているからである。
首相経験者を弔うというのに,ルールがない,というのも情けない国である。自民党というエリアの中で静かに弔ってあげた方が良かったのではないか。何度考えても,悔いが残ると思う。海外では「安倍元首相は日本を二分させた」といった評価も出ている。日本の政治の混迷がますます続きそうである。若手で骨のある政治家はいないものだろうか。