jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

トップを目指せば邪魔は必ず入る--政治家は特に身ぎれいであるべきだが,なぜカネに弱いのか

国のトップである大統領や首相は,常に命を狙われる存在である。トップを倒せば,国を変えられるからである。いつの時代も同じである。

 日本でもアメリカでも世界中どこでも,トップの暗殺事件は起きるべくして起きる。トップの主張が強かったり,人気が高かったりすればするほど,狙われる確率は高くなる。政治的に対立する個人や団体が,相手を蹴落とす確実な方法が暗殺だからである。

 2022/7/7の安倍晋三元首相の暗殺事件があったばかりなのに,マニラで7/23に大学の卒業式に出席した元市長を含む3人が暗殺された。安倍氏の場合は,安倍氏が宗教団体に関係していると錯覚した犯人が,親が受けた宗教団体による金銭的被害の矛先として安倍氏が狙われたと思われる不幸な結果だったが,多くは政治的に相手を失墜させるのが暗殺の目的である。

 政治家を志し,行政の長を狙わない人物は1人もいない。首相になることが,政治家の最終目標だからである。そのためには選挙で勝つ必要があり,票を集めなければならない。宗教団体はここにつけ込むためにカネを投入して恩を売り,自分隊に有利な政策を実現させようとする。カネで雇ったスパイという位置づけである。

 そしてあらゆる宗教団体は,信者による献金,浄財,寄付などでカネを集め,これを政治家にまいて自分たちの思い通りの政策を実現しようとする。カマキリの脳に寄生するハリガネムシのように,宿主であるカマキリの行動をコントロールし,最後には水辺に導いて入水自殺させ,自らはまた水に戻って次の宿主を探す,という一生だという。

 その後,ワイドショーは自民党の議員と宗教団体とのつながりを次々に暴いている。公明党創価学会が一心同体であることはよく知られているが,自民党がこれほど統一教会とつながっていたとは思わなかった。とりあえず,現職の岸田首相がクリーンであることを望みたい。でないと政権がひっくり返ってしまう。

 しかし,そういう意味ではメディアも野党も「トップを目指す政治家にとって邪魔」をしているとも言えなくもない。政治家に過去はつきものであり,これを次々と暴いて断罪するのが本当の正義なのだろうか。野党の追及は,いつも単に足の引っ張り合いになっているように見える。

 正義の味方づらして報道しているメディア側も,「広告主」「スポンサー」という資金源側の影響をまったく受けていないわけではない。視聴者の意見よりもスポンサーの意見の方が重視されての番組構成になりがちである。局をわたり歩いてコメントするフリーのジャーナリストも節操がない。

 かつて筆者が働いていたメディア会社も,読者への販売収入とともに掲載する広告の収入が経営を支えていた。2000年を境に,日本の産業が一気に弱体化し,経営者の意識も技術者の意識もトーンダウンして読者数が減ったのと同時に,広告収入が激減して経営の屋台骨が狂ってしまった。広告収入が得られそうな業界に次々に手を出しては失敗を繰り返してきた。筆者が同社をやめたのも,所属していたメディアが廃刊したのがきっかけである。

 同社が誇れたのは,編集部と広告部の完全独立制が成り立っていたことである。筆者が所属していた編集部は,広告主企業が取材対象になることも多かったが,決して便宜を図ったこともなかった。広告主に対する批判的な記事も広告に無関係に書いた。そのことで大手スポンサーが広告を出さなかったこともあり,広告部は苦労したようだが,編集部が妥協することはなかった。だから没落した,と言われればそのとおりだろう。インターネット時代のアフィリエート収入の仕組みに乗れない自分は,時代錯誤なのかもしれない。

 岸田首相のいう,これまでの新自由主義的路線を転換して「新しい資本主義」の実現するという政策についても,本質をきちんと見極めなければならないだろう。単純に「貯蓄から投資へ」「医療費補助から自己責任へ」と政策放棄しているように見えている筆者が理解不足なのかもしれない。