jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

女性は美しくなれる権利を持っているのかもしれない--あくまでも義務ではない

筆者は男性だからかもしれないが,世の中の9割の女性は魅力的に感じる。顔立ちがきれいとか,美しいとか,そういう切り口だけではなく,存在そのものが魅力的なのである。

 それに比べて,魅力的な男性はほぼ皆無に等しい。外見的に惹かれる男性も少ないし,仕事内容に惹かれる男性も非常に少ない。専門職として仕事の能力を評価されて資格を取得している人が,なぜか犯罪に手を染めてしまうことが起きており,がっかりさせられる。なにしろ,筆者のようなサラリーマンは歌にもあるように「気楽な稼業」だからである。会社の歯車の1つとして,目立たずに人生を終わる人間に,輝きなどほとんど期待できない。

 したがって,筆者から見て仕事のできる女性は,非常に魅力的に見える。男性は,仕事ができたとしても,一般になりふり構わず突き進むことが多いが,女性は常に自分の存在が周囲に問題がないように振る舞う。適切な心配りが,尊敬の念まで抱かせてしまうのである。

 ただ外見だけを作り込んでしまう女性は,中身の薄さが逆に丸見えになってしまい,魅力に欠ける。しかし,仕事という内面も容姿という外面も,アピールできる権利を持っているのが女性の特権とも言えるのではないかと思うのである。

 男性は昔から,学生服から背広,制服と,いわば軍隊式の容姿が定着してきた。現在ほど,カジュアルが許される時代もかつてないが,フォーマルから大きく逸脱した格好は,ビジネスシーンでは疑問視される。相手のある場合はより厳格になる。

 一方,女性の容姿は実に自由である。制服着用が求められる職場も多いが,何でもOKな職場も多い。仕事に差し支えなければネールアートも大丈夫だし,アクセサリー類も問題ない。他社と交渉のある部署では,フォーマルスーツが求められるが,適切なお化粧やアクセサリーは歓迎される。

 男性の場合は正しい着こなしが求められ,清潔さが求められる。女性の場合は隙のなさとある意味での華やかさや魅力が求められる。

 男性での着こなしのバリエーションは,限られている。色も形もパーツも基本から大きく逸脱することはない。女性の着こなしのバリエーションは無限大である。どのように相手に対してアピールするかについても,求められる。

 そこに,いくらでもチャレンジする権利を,女性は持っている。どこまでが適切な格好なのか,新しく挑戦することもできる。クールな印象を与える化粧はどうすれば可能か,などの研究ができる。男性がこの方面に走ると,結果はあまり期待できない。

 魅力のある人は,女性であろうが男性であろうが,自分の知識や見識,信念を持っていて,しかもそれをさり気なく表現できる人である。いくら知識があるといっても,それを人前でひけらかしては,魅力が半減してしまう。一方で,知らないことは知らないとはっきりと言える人も魅力を感じる。新しい知識や事項に対する吸収力と今後の対応力が期待できるからである。他人がどう判断しようが,自分が相手から好意的に思われるであろうことを自分で考えて実践することで,その人の個性が現れる。その個性が魅力につながる。人まね,流行,ブランドなどは,個性をなくしてしまう最大の敵である。

 もちろん,自分の個性だと言っても,他人から拒絶される風貌や言動は,取ってはマイナスになる。それを考えるのも知性である。

 リーダーになる人は,そのキャラクターが前面に印象づけられる。自然体なので,破綻することがない。語れば語るほどボロが出るのが人間である。じっくりと構えて行動し,成功に導く,そんな人柄が求められるのである。人から疑問を持たれないだけの外見には気を使う必要があるが,これが度を越すとまた逆効果になる。外見ばかりを気にしていては,内面を磨く時間がない。

 女性の適切な化粧は,相手の立場に立ったものが望ましいし,その瞬間,平等が訪れる。そうすると,男性もだらしない格好はできないし,発言も慎重になる。

 ならば,国会におけるヤジは,意味のないハラスメントである。