「政党は株式会社なのか」というタイトルが,筆者のブログの下書きにずっと眠っていた。このタイトルで何かを訴えたいと思ってメモしたのだが,うまく展開できずにいた。
立憲民主党の党首選挙の結果が出て,今週末に自由民主党総裁選挙を迎えるタイミングで,政党の党首選挙と政党の存在意義についてやっと1つ思いつくアイディアが浮かんだので,またメモ代わりに記述することにした。
筆者自身がこれまで経験してきた選挙といえば,中学,高校の生徒会会長選挙ぐらいなのだが,筆者は立候補する側ではなく,投票する側だった。正直,誰が生徒会長になっても,学校の中身が変わるわけではなく,体育会や文化祭のテーマや運営の仕方が変わる程度で,いわば人気投票に過ぎなかったと思うのだが,候補者はそれなりに熱弁をふるっていたと思う。意外な人物が候補になることもなく,また学校がひっくり返るようなイベントもなかった。
一方で,学級の委員長は雑用引き受け係なので,だれも立候補しない。他薦で名前が挙がると一斉に拍手が起きて,それで本人が了解すれば成立する。こうして筆者も,小学生のときからずっと,全学年の1学期と3学期は学級委員長を務めた。2学期は,1学期の委員長への反省から行事を仕切りたがる生徒が立候補して選出され,3学期はまた雑用に戻って筆者にお鉢が回ってくる。そんな学校生活だった。
政党は,1つの政治目標を掲げてそれを社会にアピールして支持を集める,というのが本来の姿だと思うのだが,1つの政党の中に複数のグループが存在して,主張が正反対だったりする中で,党首選挙でもお互いに牽制しあうのが現状の多くの政党である。これでは,支持者である国民には「いったいどういうグループなのか」が分からない。
一方,一般企業を考えてみると,会社の中で主張の異なるグループがあったとしたら,その会社の存在意義が分からなくなってしまう。会社の目標があり,それを基本的に継続するように,経営者が引き継がれていく。創業社長がいて,次期社長が養成され,引き継がれていくことで,経営方針も引き継がれていく。世の中に対しても,あの会社はこういう会社だ,という認識ができ,それが信用となり,株式会社であればその信用と成果によって市場価値が決まり,資金調達ができる。
もちろん,複数の事業部門があるため,停滞する事業より伸びている事業を率いている現場責任者が,次の経営責任者となる公算が強い。これも社内で認知され,経営者交代も進む。逆に,経営者一族でしか経営が引き継がれないようなケースでは,経営能力なども含めて問題が発生する可能性が高くなるのは,ドラマでもよくある設定である。
こうした視点で政党を見ると,すべての構成員がそれぞれの主義主張を持って政治のトップの座を狙っており,協調して物事に当たろうという姿勢が基本的にはないように見える。党首選挙の立候補のために推薦人20人を集める必要がある,というのも変なルールである。わざわざ派閥を作っているようなものだからである。
党首選挙で敗れるということは,自分の主張がその組織の中で受け入れられなかったということである。一般企業のサラリーマンなら,自分を押し殺して黙々と働くことで給料をもらえればそれでいいという考え方もあるが,政治家が自分の主張が受け入れられないことなど,ガマンできないのではないか。自分を受け入れない組織に居続けることにガマンできないのではないか。
本当に理想の政策を実現したいのなら,自分の主張を持って一本立ちし,そこに賛同する仲間を集めるべきだと思うのである。一般企業でいうスピンアウト,あるいはベンチャーである。たしかに数々の新規政党が生まれては消えていくが,それは社会が受け入れなかったという事実があるからである。
立憲民主党の党首選挙では,元総理,元代表,現代表,新人と,3人ものトップ経験者が再立候補となった。1回目の投票で決まらず,2候補による2回目の投票で代表が決まったが,結局党内の支持意見は4分割したままであり,2回目の投票でどちらを支持するか,といった裏工作すら行われた結果である。党としての主張が結集するわけではない。
同じことが,自民党の場合は9分割になる。もとの派閥のつながりは厳然として残っており,実質的な派閥による勢力争いという構図は変わらない。2票投票の提案--政党内での党首選挙で本音を知りたい【追記】 - jeyseni's diary (hatenablog.com) (2024/9/9)と書いたように,派閥を超えての考え方を知りたい。
党首の考え・主張に与せないのなら,自分の主張を通す政党を作るべきだと考える。
現在の仕組みだと,与党政党の党首が日本の総理大臣にほぼ自動的に任命されることになる。与党第1党である自民党の総裁が,日本のトップになる構図である。国民はこれを許していいのだろうか。
自分の考え・主張があるのなら,自らが先頭になった政党を作り,主張して仲間を集め,世の中にもその是非を問うてほしい。特に今回立候補している若い議員には,独自の政党を作って主張してほしい。その主張が支持されるなら,票も資金も集まる。いわば政党を株式会社としてしまうアイディアである。
一般企業も,最初は1人や小さいグループからのベンチャーである。新しいことに挑戦し,それを社会にアピールし,支持と資金を調達して大きくなってきた。トップとしての主義主張があるから,人も金も集まってくるし,それを支える支持者も集まってくる。
この構図は,都知事選挙の時のように泡沫候補が山のように立候補するような事態を招く危険はある。しかしそもそも主張を実現するためには,それを支えて役割分担してくれる仲間がいることが前提になる。泡沫候補にはその魅力はないし,おかしな団体はそもそも政治の主張を持っていない。
選挙管理委員会の立候補者基準にも,見直しが必要だろう。その選定の役割を,「専門家」やメディア人,評論家も含めて再構成すべきだろう。ただ書類の書式が整っていることだけで通過してしまうのなら,1枚の書類を使い回ししたワーキングホリデー斡旋業者と何ら変わりはない。
立憲民主党の3人,そして自民党の8人が,今後どのような道をたどるのか,国民は注視する必要があるだろう。本当に国のリーダーになってほしいと思える人物がいるのか,真剣に国力を立て直し,世界の中での日本の存在意義を構築できる人がいるのか,今回の2つの党首選挙の在り方と結果について考える機会にしてはどうだろうか。