イスラエルによるパレスチナのガザ地区への侵攻およびハマスとの戦闘が,ようやく停戦状態に入った。2023年10月の戦闘開始から1年3ヶ月が経過した。
一方,ロシアによるウクライナ侵攻は, 2022年2月24日に始まって来月で丸3年になろうとしている。現在伝えられているのは,ロシア南西部クルスク州に越境してきたウクライナ軍と,ロシア軍として投入された北朝鮮からの派兵を交えた戦闘で,終わる気配がない。
ガザ停戦も,2025年1月17日から42日間とされている。しかし停戦となったその日にもイスラエルによる攻撃で80人もの死者が出たとされる。停戦交渉に当たったのは,カタールとアメリカ。その前日の16日に,イスラエルのネタニヤフ大統領とハマスとの間で停戦に対する合意があり,17日の閣議で停戦が決定されたという。アメリカは,バイデン大統領政権のブリンケン国務長官が実務交渉に当たったようである。
イスラエルと強い結びつきのあるアメリカと,中立的とはいえ強い国力を持つカタールが,ハマスに対する包囲陣を形成し,ハマスが譲歩した,と見るのが適切かもしれない。バイデン大統領はネタニヤフ大統領に対して何度も民間人への攻撃をしないように依頼している。立場的に武力にのみ頼るハマスが弱いことは明白であり,長かったとはいえ,1年と少しで停戦という表向きの形が取れたことは望ましいことではある。ただ,これからの長い交渉の中で,1月20日に発足するトランプ政権の出方次第では方向性は見えない。
一方で,ウクライナとロシアに関しては泥沼状態にある。ウクライナ側に欧州各国とアメリカで形成するNATOが加担し,ロシア側には武器供与でイランが,武器供与から戦闘員供与までで北朝鮮が提携している。ガザ侵攻におけるハマスの位置づけが,ウクライナ侵攻では「ロシア」という強国がその立場にある。ハマスが譲歩して停戦に向かったのに対し,ロシアが譲歩する可能性はほとんどない。しかも,NATOの中心とはいえ,アメリカにとっては離れた地域での争いであり,ドイツやフランスの頭越しに余計なことは言えない。バイデン大統領にしても,武器供与に対して段階的に協力するしか手がなかったような状況だったろう。
その中で,ドイツもフランスも極右政党が台頭し,NATOの結束が揺らぎかけているように思える。そこにきて,来週にアメリカでトランプ大統領が就任すると,事態は違う方向に進む可能性がある。アメリカは,武器供与を止めることになるだろう。その上で,ウクライナに対してロシアが提示する停戦条件を飲ませるように働きかけることで,停戦を早期に迎えさせる方法を取るだろう。
かつて,第二次世界大戦で日本が孤立して敗戦国になったように,ウクライナを孤立させることで事態を収拾させる。そこではロシア,中国,アメリカという包囲陣が形成される。これまでの自由主義経済圏の理論ではなく,社会主義自由経済圏の理論が優勢になるということである。
残念ながら,かつての欧米を中心とした自由主義経済のもとでは,経済発展に歯止めが効かなくなった。大量生産による公害や環境汚染,エネルギーを湯水のように使うことによる地球温暖化といった物理的な破壊が進んだ。地球だけでなく,宇宙にもいまや民間企業が手を伸ばし,何千個という人工衛星を勝手きままに打ち込む事態となっている。その多くが宇宙ゴミとして散乱している。一方で,インターネットが無秩序な無法地帯と化し,国際経済を支えてきた金融理論が効かない仮想マネーまで登場した。自由主義経済は,「無法主義経済」に成り下がってしまった。それを推進しているのが,アメリカのベンチャーからの成り上がり企業である。テスラ社が現在ではその先頭に立っているが,トランプ次期大統領はイーロン・マスク氏をコントロールしようとしているのではないかと思われる。そうやって,リアルな世界での覇権を動かないものとし,バーチャルなインターネット上の秩序さえ作ってしまおうとしているのではないかと思われる。
さて,このアメリカ-ロシア-中国という巨大権力圏ができた場合,立場を失うのが日本である。アメリカに対しては反発し,中国に対しても反発している現状で,果たしてどういう立ち位置に立つのだろうか。中国に対抗している台湾と手を組むのだろうか。
少なくとも,リアルな世界において,強権を発動してでもいったん経済成長を止めるぐらいの判断をしないと,地球環境がまず壊れてしまう。そのためには,中国政府も中国の民間企業による無秩序・無制限な生産活動をいったん停止させる必要がある。現在の太陽電池パネル生産は,明らかに行き過ぎであり,環境のためにならないことを認識すべきなのである。地球に必要な対応策を取るには,いがみ合いを止めて話し合いをする必要がある。ひょっとしたら,トランプ次期大統領がその中心的な役割を果たし,歴史に残る英雄になるのかもしれない。日本にとっては痛みを伴う環境となる可能性は高いが,もはや発言権を復活できるような状況にはないように思える。
そこに求められるのは,モノづくり,エネルギー作り,食糧作りというリアルな社会への貢献である。そして人づくりのための教育システムの再構築である。もう一度,日本が汗水流して生き生きと働いている社会に戻すことが,世界にとってのモデル国としての日本の役割なのだと信じている。