jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「置き配」の責任問題をコメントする

新型コロナウイルス禍で,ネット通販の利用件数が数倍に膨れ上がっていると思われる。筆者も,場合によったら毎週のように何かを注文しており,自分でもやりすぎ感がある。注文から発送までの時間を考えると,リアルのショップに出かけて品定めして持って帰るのと別の価値があることに気づく。リアルのショップでは,そのモノに対する自分の「感性」で選ぶことが求められるが,ネット通販だと「検索・選択」「複数比較」「他者評価」など多面的な判断が求められる。翌日にはモノが届くようなタイミングなので,実際に製品に対する結果もすぐに分かる。

 リアルだと,次回まで保留することは少なく,多少の不満はあっても購入してしまうことが多い。しかしネット通販だといったん保留にすることも多いし,場合によっては延々と検索を重ね,複数の製品を並べて表示して比べることも少なくない。リアルの場合に複数のショップを行ったり来たりする煩わしさがあるが,ネット通販だと目の前で比較できてしまうという便利さがある。この悪魔の誘惑によって,つい購入,ということになるのだろう。

 さて,新型コロナウイルス禍での新しい動きとして「置き配」がある。配送者と顧客が顔を直接合わせることも会話することもないことから,感染防止の一環だと言われるのだが,正直,これは配送業者の「責任放棄」だと思うのである。

 実際,置き配の指定をしていなくても,勝手に玄関先に置いていく例は後を立たない。ここ数日,梅雨に入ったこともあって,突然の雷雨になることもある。玄関先で雨に濡れてしまうこともありうる。

 仮に置き配を指定した場合も,呼び鈴を鳴らして声をかけたり,インターホン越しに到着を伝えたりすればいいだけだと思うのだが,それもしない。メールでの「配送完了」という文面を見て初めて配送されたことを知ることも多く,長時間,荷物が外に放置された状態にあることも少なくない。

 対面での受け取りを指定して,呼び鈴を押した場合も,受け取り印が不要,と言われるようになった。何だか1秒でも早くその場を立ち去りたいというような印象を受ける。

 荷物が客先に届いたかどうかは,客の受領の印で証明するのが常識だと思うのだが,現在の置き配は,配達員が「配達完了」と報告することで済まされている。これは配達業としては,「荷物を届ける責任を放棄している」と思わざるをえない。

 ケース① 玄関先に置いた荷物を他人が盗んでしまった場合

 ケース② 配達員が荷物を着服してしまった場合

 ケース③ 注文していない荷物が届けられた場合

 ①は,だれが責任を取るのだろう。②は,会社の責任だがどう証明するのだろう。③は,今後治安がもっと悪くなったときに問題になるだろう。

 2020年,新型コロナウイルスが流行り始め,緊急事態宣言,テレワークなどが始まったころ,サービス業ではマスクとフェイス・シールドの着用が始まっていた。宅配業でもフェイス・シールドを見かけた フェイスシールドを購入 - jeyseni's diary 2020/5/30。筆者も出勤時の感染が怖かったので,フェイスシールドを購入した。それほど,サービス業としての自覚があった業界だと思っていたのだが,この置き配に関しては疑問を呈さざるとえない。

 逆に,宅配を装った犯罪も増えている。着払いだと騙してお金を払わせるのはまだしも,荷物を受け取らせるためにドアを開けたときに強盗に及ぶなどの事件が起きている。正直,少し前までは宅配業者の制服を着て,身分証明証を見せていたが,今は学生や主婦,年配者のアルバイトでの配達も増えている。

 これらを両立するには,「置き配」と「呼び鈴」の両方をするだけでいいのではないだろうか。ただそれだけのことなのだが。