jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

比較されず、棲み分けできる世界が欲しい--力とカネは人の理性を失わせる

変なタイトルである。人類は,生物の中で唯一,「理性」を持てたはずなのに,戦争という最も残酷な方法を行使できていることの矛盾を考えたところから,このブログは始まる。

 筆者は,第二次世界大戦終結した後に生まれた戦後派で,日本という平和な国に生まれることができたことを幸せに思ってきた。広島と長崎に原子爆弾が落とされ,これほど恐ろしい兵器を手に入れた人類は,「理性」に目覚めたと信じていた。その後も核兵器は増え続け,2大強国だけでなく,現在は8ヵ国に増え,さらに保有を疑惑視されている国も4ヵ国ある。核は確実に“拡散”し“拡大”している。「これを持てば世界の強国になれる」という野心が働いた国があった。クリーンエネルギーを生むという原子力発電の名目で,核兵器も所有してきたというわけである。

 力と金は,人の理性を狂わせる,のだということである。

 「原発を標的」は,核兵器使用の一線を越えたに等しい--「プーチン集団」はテロ集団に成り下がった - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/3/5。チェルノブイリ原発が事故で爆発して当時のソビエト国民が放射能汚染で苦しんだ。その国が原発を標的としているなど,理性を失ったとしか思えない。原爆を落とされた日本は,福島第一原発の事故でも放射能の被害を受けてその恐ろしい情報を世界に発信している。「少なくとも原発攻撃はやめる」ことを強く言える唯一の国ではないのかと思う。

 軍隊は「仕事」である。仕事を完遂するために日々訓練をしている。軍隊同士の戦いなら,強い方が勝つ。一般のビジネスシーンと基本的には同じである。しかし,仕事に参加していない一般人を巻き込むと,これは犯罪である。ビジネスで言えば「詐欺」に当たる。政治で言えば「収賄」である。しかし,仮に主犯格を取り押さえても,軍隊が仕事を完遂しようとしてますます暴走するのも目に見えている。いかがしたものだろうか。力で押せばますます反発する。国内世論が盛り上がり,「この仕事はおかしい」という理性が戻ってくるのを待つしかないが,いったんアドレナリンで暴走を始めた男を鎮める方法はほぼ皆無に等しい。

 世の中,基本的に平等ではない。同じことをしていると,能力を比較され,結果を比較され,選別が行われる。上に選別されれば,基本的に力とカネをより多く手にすることができる。しかし世の中にはさらにその上がある。

 一方,下に選別されると事情は一気に変わってくる。上にはなかなか上がれないが,下にはいくらでも落ちて行ってしまえるからである。力を失い,カネも失っていくと,最後には犯罪に手を染めてしまうかもしれない。社会のバランスをうまく保つのは,なかなか難しい。

 あらゆるテストのやり方が,点数で足切りをされてしまう。逆に,そのテストを乗り切るためのテクニックというものもカネで売られている。カネを出してテクニックを手に入れ,テストに合格して資格を得ると,これが力となり,カネを生み出すという構造になっている。他人を蹴落とすことが自分の人生の最大の目標であるかのように,小さいころから頭に刷り込まれて育つ。他人を思いやる,みんなと共存する,といった意識が育つことがない。

 現在の就活も,まずテクニックがまかり通っている。点数を取ることが第一であり,短時間に問題を解くことが第一と評価される。書類選別をくぐり抜けるためのテクニックがあり,テストというテクニックという第一の関門を抜けても,他人と同じ格好をした面接で個性を発揮しすぎると,一般的には否定される。1回のチャンスは1回キリ。それでその企業の歯車にはめ込まれて,その企業のやり方で動かされることを考えると,せっかく入社しても自分の意向と合わずに数年で辞めてしまうという理由も分からないわけではない。採用する側も採用される側も,求めるものが食い違っていることが多いからである。

 自分のやりたいことをするという人生も選択は可能だが,基本的には先立つカネが必要になる。このカネがやはり厄介である。安易に大儲けできる可能性のある博打やギャンブルに手を出すのも1つの選択である。投資という聞こえのいいマネーゲームをするのも1つの選択である。しかし,世の中の総額は決まっている。大金を手にするためには多くの他人を犠牲にする必要がある。まさにゲームであり,世の中に役立つ仕事とはとても思えないが,「投資家」という名の仕事だと言っているのが理性を感じられず,空恐ろしい。

 人の「理性」は,人類や地球が平和に存続するために何をすべきかを考えて行動することにあると思う。今,この瞬間,人類は何をすべきなのか。地球温暖化問題を忘れていませんか--三重苦をなぜ選ぶのか - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2022/3/6。

 人類の理性は,支配することではなく,棲み分けることではないかと思うのである。棲み分けをするには,議論も必要だし,妥協も必要である。それぞれが自分の都合を主張していては,人類そのものの存続が危ない。地球環境も,パンデミックも,いわば人類の存続に対する警告なのだが,それを意に介さない行動は,理性を持った人類とは思えない。これから1週間以内に,理性を取り戻すのか,それとも人類破滅に向かうのか,正直,実に悲しいブログを書いている自分が情けない思いである。