jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「モノは壊れる」と思っていない若者が多いように思う件

新型コロナウイルスまん延の第5波の真っ最中に東京オリンピック2020が開催された。観客を入れず,会場とオリンピック村のみを行き来するだけのバブル方式が採用されたはずなのだが,実際は選手村へのデリバリーは自由,ボランティアも会場内外を自由に出入りでき,報道関係者は街中へ繰り出す,といった穴だらけのバブルだった。

 日本で第6波の最中に行われた北京冬季オリンピックは,冬場ということもあり,また中国という国の性格上,完全警備の下でバブル方式が維持された。開催直前に,北京近郊でも感染拡大が始まり,ロックダウンで人流を抑えて,何とかオリンピック期間中は大混乱には至らなかったが,その2ヶ月後,上海で大規模な感染拡大が進みつつあり,街全体をロックダウンしている状況である。感染力が高いオミクロン株は,もはやロックダウンでは押さえ込めない。感染リスクを唯一下げられるのが,全員のマスク着用と,より強力な連続換気の徹底である。

 こうした中で日本では,Go To政策を復活させつつある。感染拡大抑止のポイントであるマスクも連続換気もせず,呑気に解放された空間で,無症状感染の拡大を招くことは目に見えている。どうせ軽症だから怖がる必要はない,という言い方もできるかもしれないが,感染症二類への変更なども併せて実施しないと結局は病床逼迫,医療崩壊を招くことになる。

 さてここのところの週末を中心に,街をスーツケースを転がして歩く若者が結構な数いることに気づいた。普通の格好だし,旅行というわけでもなさそうだし,なんだか分からないのだが,ハードなスーツケースを転がしていることが多いのである。

 そのスーツケースの扱い方に少し疑問を感じた。たとえば階段を下りるとき,筆者なら重くても持ち上げてキャスターが階段に当たらないようにして下りると思うのだが,普通にゴンゴン音を立てながら階段を転がして下りるのを見かけた。また平地を転がすのでも,まっすぐに進まないのを無理やりハンドルで向きを変えて歩いていく。段差などまったく気にしない。時にはスーツケースが角に当たってひっくり返ったりしている。「スーツケースなんだから,これぐらいの衝撃は大丈夫」とでも言っているかのようである。

 たしかに,スーツケースは思った以上に頑丈にできている。海外旅行でのスーツケースの扱われ方を知っていれば,この程度の扱いでは壊れないだろうな,という想像はできる。だからといって,何となくわざとハードな使い方をしているようにも見える。優しく扱った方が,寿命も長く,故障も少ない,といえるのではないだろうか。

 若者にとって,これまで壊してきたものは,ほとんどないと思う。だから,「モノは壊れない」と思っている節はある。丁寧に扱えば,いつまでも壊れずに使い続けることができる。わざわざ荒っぽい使い方をしなくてもいいと考える。

 逆にゲームの世界などにのめり込んでいると,現実の「モノの重さ」や「モノの感触」が負担になり,加減をしないで殴ってしまったり,思わず落としてしまったりするのではないかと思ったりする。筆者ももちろん知らないが,実際の拳銃やマシンガンなどはズッシリと重いはずだし,それを使ったら火傷をするほど熱くなる部分があること,そして火薬残渣が手に残り,また肺にも吸い込んでしまうことなど,バーチャルな世界では起こり得ないことが現実にはある。誤って暴発したら,自分自身が負傷したり命を落としたりする。そういう「ウェットな感覚」をどんどん失いつつあるのではないか。

 何でもコンピュータで動かせばいいというものでもない。しかし,モノづくりというウェットな仕事は敬遠されつつある。医者も,ウェットな外科や産婦人科などが敬遠されている。飲食業も,どんどんタレント化ばかり進み,YouTubeでネタを提供して稼ぐ人も増えている。一緒にするのはひんしゅくモノだが,戦争も上層部が仕掛ける部分はゲームと同じ感覚でミサイルを打ち込んでいる。最前線ではもう,人としての正常な感覚が働いていないのは,どの戦争でも同じである。

 話が拡散してしまったので元に戻すと,いまや日本人が使っているモノの多くは海外で作られている。日常的な製品は中国やアジアで,ブランドモノはヨーロッパで作られている。日本製のモノは,消耗品か地域限定商品,「手作り」商品ぐらいである。若者が転がしているスーツケースも,多くは海外製である。壊れてもすぐにAmazonで買えるといった感覚が,何か大事なものを失いつつあるように思う。これは筆者にも押し寄せてきている感覚でもあると感じるのである。ときどきは目覚めなければと思う。