さまざまな差別を生む言葉を言い換えることをPolitical Correctnessつまり「ポリコレ」と言うのだそうだ。これにより,看護師,客室乗務員,ビジネスパーソンなどの言い換え言葉が生まれた。「性別や人種、民族、宗教などに基づく差別や偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用すること」なのだそうだ。
直訳すると「政治的妥当性」「政治的公正」「政治的適正」「政治的正義」となるそうで,正直,あまり好きな言葉ではない。「政治的な紛争を避けるために置き換えた」と取れるからである。
マスコミには,差別用語に対する暗黙の「自主規制」があった。工業用語で慣用的に使われている言葉でも,それを置き換えていた。関連団体による訴訟を逃れるのが理由である。その中には,男女や民族に関する自主規制は基本的になかったが,まさにポリコレに従って自動的に置き換えは進んでいた。事前に自主規制をし,デスク段階,校閲段階でチェックされ,表に出ることは基本的にはない。
一般の人は基本的に言葉に対する感度は低い。これは仕方がない。トレーニングを受けていないからだ。学校教育では徐々に教えられているが,すでに成人した人にはトレーニングされる機会はない。政治家は言葉を使う仕事であり,本来は言葉に対する感度は高くなければならないのだが,一般人同様,言葉に対する感度は極めて鈍い。
セクハラ,パワハラなどハラスメントの種類は40種類ぐらいあるらしいが,ほとんどの人の言葉に対する感度は極めて低い。企業内のおけるセクハラ,パワハラが後を絶たないのも,トレーニングの機会がないからだろう。
「ペンは剣よりも強し」というが,言葉は時に人を激しく傷つける。マスコミにいる人間は,最初にこれの教育を受ける。それでも,不適切な表現をしないとも限らない。
しかし,現在の情報発信は一般人からが中心で,そこには何のトレーニングも受けていない人からの発信が多い。これは,仕方がない。
政治家の発言は,より慎重であるべきだと思うが,あまりにも失言が多すぎる。年長者は,時代錯誤の発言をする。若い人は一般人と変わらない。教育現場でも正しく教えられていないのではないかと想像する。
ビジネスマンはビジネスパーソンと言い換えられている。しかし,サラリーマンはサラリーパーソンとは言い換えられていない。そもそも,「サラリーマン」という言葉自身が,「時間を金で買われてオフィスに縛り付けられている労働者」という自虐的な意味を持っている。あえてポリコレをする必要もないのかもしれない。
政治家は,とかくお金の使い方も,付き合いの仕方も,一般の常識とかけ離れている。緊急事態宣言下で銀座に出歩くとか,クリスマス会を開くとか,一般人の考える常識を持ち合わせていない。森喜朗の女性蔑視発言も,そもそも国民が普通に持っている常識的な感覚を持ち合わせていなかったということから発している。
現在の国会議員,かつての政治家など,「ポリコレ」すれば消えていくのではないのだろうか。