自宅療養の危機-家庭での濃厚接触と一人暮らしでの発見遅れ - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/8/4 でもコメントしたが,今や日本は「病気をしても,身分によって入院できるかどうかが振り分けられる格差社会」であることが露呈された。
1人の命を考える - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2020/10/7 のコメントである。このころはまだ,世界全体で1日の感染確認者が5000人だった。いまや東京だけで5000人の感染者に近づきつつある。1人の命の大切さがどんどんおろそかになっている。
トリアージュ(選別)という言葉について,遅い!遅い!(もう遅い?) - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/1/27 でコメントした。自民党の某議員が,無症状なのに即入院できたのに,自宅療養どころか,判断の自宅待機で病状悪化で亡くなる方がこのあと70人以上も出てきた。8月に入って再びこのときの轍を踏もうとしている。
あと5日間を黙って見送るために,COVID-19感染確認者の中で最優先なのが「オリンピック選手および関係者」,次が「政治家,官僚」「金持ち」だろう。金持ちは病床を黙って「予約確保」しているかもしれない。あるいは,自宅などに特別室を設け,医療確保できる体制を整えているかもしれない。
現在,東京の病床使用率は50%を超えたステージ4。残りの半分の空き病床は,基本的には重症度の高い患者から入院させると考えるのが一般的だが,たとえば「重症度が8の一般人」と「重症度が6の国会議員」だったら,どちらが先に入院するか,というと「重症度6の国会議員」である。言い訳は「同氏は重症と判断されたため」とされ,「重症度8の一般人」は,自宅で亡くなってから報道される,という結果になるだろう。
医療も教育も,機会均等なのが日本ではなかったのか。日本国憲法の精神ではなかったのか。社会主義国では,支配者と被支配者という厳然たる格差があるが,日本でも,カネと権力による格差がある。
せめて,重症治療の機会は,機会均等であってほしい。カネや犯罪の隠匿などに忖度が働くのはヒトなら仕方がないかもしれない。しかし,命の選択に忖度があってはならない。