jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

鍵(キー)が摩耗することを再認識した日--人間が作るものは壊れるものである

ここ1週間ほど,クルマのエンジンが掛かりにくい状況になり,ディーラー送りとなった。 「キーを捻る」は死語!? エンジン始動 なぜボタンが主流に?? プッシュ式の利点と注意点 - 自動車情報誌「ベストカー」 (bestcarweb.jp) 2019/5/22にこういうタイトルの記事があったのだが,筆者宅のセレナは2000年モデルで,まさにキーを捻って(ひねって)エンジンをスタートさせるタイプである。

この記事によると,プッシュ式スタートボタンを最初に採用したのは,2代目プリウスだとのこと。 意外に最近の話であり,ハイブリッド車という特異なモデルだからこそいわば実験的に採用した方法だと思われる。 その後はどうやら商用車以外はほぼすべてプッシュボタン式らしい。 筆者も,セレナを修理に出したときの代車がキーレス方式なので最初は戸惑うし,家族のメンバーも代車には乗ろうとしない。

セレナはキー方式だが,ドアの開閉はキーホルダー側の無線リモコンでできる。 しかし,リモコンで施錠解錠する際にピッという音が出ることや,スモールランプが点滅したりするのがどうも嫌いで,筆者はドアの開閉にも「キーを捻る」方法を使っていた。 家族はさすがに,ドアの開閉にはリモコンを使ってきたらしい。

さて,その旧式のセレナで,バッテリー上がり以外でエンジンが掛からなかったことはこれまでなかった。 バッテリー上がりすら1回しか経験しておらず,近年の高性能バッテリーに交換してからは一度も不調はなかった。 それが突然のエンジン掛からないトラブルである。

エンジンが掛からない理由としては,第1がバッテリー上がり,第2がセルモーターの摩耗と書かれている。 今回の事例では,「キーを捻って」準備警告ランプはすべて正常に点灯した後,スターター位置まで回してもエンジンが掛からないというものだった。 同じ動作を何度か繰り返すと,何事もなかったかのようにセルモーターが回転し,エンジンが掛かる。 まるでロシアンルーレット状態だった。

夏場だし,どうもバッテリー上がりではなさそうで,オイル類,冷却水類も不足はない様子だった。 うまく掛かるときのセルモーターも勢いよく回る。 セルモーターの電極の摩耗という線かな,と思いながら,ディーラーに点検依頼をした。

実際にディーラーに持ち込む朝,やはり特に問題なくエンジンは掛かった。 これはプロが点検しても原因が判定できるか不安だった。 何しろ,今のクルマはコンピュータ制御であり,チェックログは膨大に出力できるが,そこから原因を読み取るのは並大抵ではなく,結局は基板ごと交換か,プログラムの再インストールで調子を回復することが多い。 プロのエンジニアでも,電子回路をチェックすることは不可能だからである。 ちなみに,我が家のセレナがトランスミッションの交換という大手術をした際,エンジニアがダイナモの取り付け角度をミスしたことで点火タイミングがずれ,エンジン不調になったことがある。 このときもプログラムの再インストールかと言われていたのだが,ダイナモの取り付け直しだけで回復した。 再チェック時にいったん取り外したことで,ミスが発覚したというわけである。

そこでハタと思い至った。 ひょっとしてこれはクルマ側ではなく,キー側の問題ではないのか,と。 キーを挿して捻ると確かに問題なく回るから,キーに問題があるとは最初は考えなかった。 ところが,スペアキーを使ってみると,何の問題もなくエンジンが掛かることがわかったのである。

 そして仮説を立てた。 これは鍵(キー)が摩耗することによって,一部の機能ピンが十分に働かず,電気的な接点の接触が甘くなったために,エンジンを掛ける回路が働かなかったのではないか,と。 現在,セレナはディーラーに預けてきたが,おそらくバッテリーやセルモーター,電気回路には問題がなく,キーの不具合と判定されるのではないかと思われるのである。

 確かに,20年も乗っているクルマである。 その間,キーの無線リモコン用の電池は何度も交換しているが,キーそのものを替えたことはなかった。 そして,思い当たるところから言えば,ドアの開閉の際,錠が掛からないときが何度かあったことを思い出したのである。 

 「おそらくキーの摩耗ですよ」と言って,ディーラーに預けてきた。 いくつかチェックの後,ほかに原因は見つからないだろうと思われる。 車検を1ヶ月後に控え,いよいよ寿命かな,と思っていたところなので,多分もう少し延命できると思うのである。

 そういえば,家の鍵も回らなくなるときがある。こちらは錠側の寿命なのかなと思っている。人が作るものは必ず壊れる。そのことを再認識した1週間だった。