jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

左肩の肩こりによる不定愁訴が急に消えた件--痛みの元は結局何なのかが分からない

物心ついたころからすでに筆者の左肩は凝っていた。筆者は右利きで,肩掛けカバンは左肩に掛けていた。左腕よりも右腕がよく動くのは,単に右利きだからだとずっと思って,左肩は特にケアはしなかった。親からは身体が曲がっていると言われた。普通に歩いていても左足首をよくくじいた。

    左脚が軽いマヒ状態だったと思われる点については以前に告白した。スキーでも左ターンをコントロールできず、よく転んだ(歩ける喜び--おそらく自己流整体法によって子供のころに左脚に力が入らなくなったことからの回復プロセス - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/12/9)。このブログから1年半が経過した。

 そしてこの2023年8月に入って,本当に左肩の不定愁訴(不快感)が消えた。そしてその翌日,左脚の不定愁訴も消えたのである。

 普通の傷でも,何日間も痛みが続き,ある日,気がついたら痛みがなくなっているという経験は,誰でもするだろう。傷ができて数日は何もしなくても痛いし,前日までは触ったらまだ痛い。しかし今日はまったく痛まないし,触っても大丈夫,という一気に治って痛みも消える。傷が完全に塞がるのと同時に,痛みを感じる神経も痛み信号を出さなくなるということだろうか。

 肩こりについては,痛み,あるいは不快感をどうやって感じているのか,正直言ってまだ理解していない。血行が悪くなって,筋肉が硬直し,神経が刺激を受ける,というのだが,血行改善を指圧などの物理的な方法や薬による方法を採っても,筋肉の硬直は一時的には軟らかくなっても,すぐに元に戻ってしまう。

 今回も,前日までは不快感が残っていたのが,朝起きたら肩や脚を動かしてもほぼ完全に痛みや不快感がなくなっていたのである。

 何より驚いているのが,ストレッチをしたら「どこまででも伸びるような感じ」がしたことである。これまでは,何か「芯」のようなものが残っていて,突っ張って痛みを返してきたのが,どこまでも曲げられるようになっている。指で押しても,硬い芯のようなものがなくなっているし,押しても痛みを感じない。

 前日までは,電車の椅子に座ったときの脚ストレッチ(椅子に座ったら足首で地面を踏みしめる訓練がオススメ(個人的な意見です) - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/7/8)も,布団の上での鉄アレーによる指圧(ピキッと音がして肩凝りが消えた - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/5/9)もおこなっていた。特に,脚ストレッチは足の甲を地面に付けて足首をかなり伸ばすようにしていた。これまでは痛みがあるので伸ばし過ぎないように気をつけていたが,思いっきりほぼ全体重を掛けても大丈夫だった。「これはいい」という確かにそんな感じを受けた。

 不快感が消えたのは,その翌日ということになる。それまでは,たとえば首を傾けると「ポキッ」「カクッ」といった音がしたが,当日は音が出なくてもグッと曲げることができた。脚の付け根も同様である。そこから数日経過するが,とりあえず不快感はほぼなくなっており,布団に入ったら鉄アレー指圧をしなくてもそのまま寝てしまっている。

 もう1つ驚いたのが,自転車での左脚での踏み込みが「できる」ようになったことである。正直,自転車も苦手で,すぐに脚が疲れてしまっていた。電動アシスト自転車は筆者にとっては救いだった。動き始めや坂道で踏み込む力をサポートしてくれたからである。ところが県知事選挙の期日前投票で市役所まで行くときに,左脚での踏み込みが右脚と同じようにできることを発見したのである。腿(もも)のウラにこれまで突っ張り棒のように感じていた硬い部分がなくなり,ペダルを踏み込んでも力を伝えられるようになった。電動アシストを使わなくても楽しいサイクリングになったのである。

 意識的に,布団の中での鉄アレーによる指圧やストレッチなど,個人でできる努力を始めてからおそらく15年という年月が必要だったが,ようやく解決した。もちろん,現代医療やさまざまな整体術などを使えばもっと短期間に回復できるのかもしれない。自分で責任を持つというリスクももちろんあるし,治るという保証もなかった。

 ただ,自分の身体と向かい合い,相談し,加減しながら,少しずつ続けることで,解決できたことは,個人的には良かったと思っている。もちろん他の人においそれとオススメすることはしない。

 この15年間,結局はスポーツもしていないし,外に出かけることもなかった。仕事中心で活動していたり,スポーツを継続して続けている人には,いったん立ち止まることになるということをお伝えしなければならない。何らかの犠牲を払って,しかもこれだけの長い期間を掛けるか,あるいは医療を選ぶかは個人の選択ということになるだろう。結局,疑問に残っているのは「肩こりって結局なんなのか」が分からなかったことである。