jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

サイエンスはエンタメ--フィールドワークをする研究者以外は科学からは遠ざかる時代に

宇宙の果てはどうなっているのか,宇宙の開始はどんな状態なのか,生物はなぜこれほど多様なのか,生物はどのように進化したのか--サイエンスのテーマには夢がある。研究者ばかりでなく,子供も大人も夢中になることができる。

 学問で言えば,物理学と生物学,学科で言えば,物理と生物,そして地球をテーマとした地学である。大学ならば理学部の領域である。同じ理科の中でも,化学は現象を分析するだけでなく,新しいモノを製造する知見を与えてくれる。サイエンスというよりもインダストリー(工業)の領域の学問である。大学の化学学科が理学部ではなく工学部にあるのが,それを表している。

 物理特性を知らなければ,モノづくりはできない。材料は理学の分野でもあり,工学の分野でもある。しかし,月の石や小惑星の成分を知ってもモノづくりはできない。月に移住して快適な生活を送れるようになる前に,地球をなんとかしなければ,飛び立つロケットさえ作れなくなる。

 宇宙や深海の謎を探求するのはサイエンスであり,いわば「人類の夢」である。未知なる事実を探求するという人間の根本的な欲求である。国家プロジェクトとしての宇宙開発,深海探査は,残念ながら国同士の陣取り合戦の延長にあった。国の威信を賭けた競争になってしまった。旧ソビエトアメリカが競って人工衛星を軌道に載せ,人類を月に降り立たせた。宇宙ステーションを建造して微小重力下でのさまざまな実験ができる環境を作った。戦後の平和ボケした日本人にとっては,これは「科学の発展」の成果であると思え,その偉業を称えてきた。

 しかし,国家プロジェクトとしての宇宙・深海開発は,軍事技術開発の一環に過ぎない。ロケット技術はミサイル,人工衛星偵察衛星GPSは誘導ミサイルや敵の監視,深海探査艇は潜水艦,そして原子力技術は原子力潜水艦の動力であり,核兵器の発展につながっている。

 米ソ,現在はアメリカとロシアの宇宙開発競争に,中国が加わり,さらにインドも加わった。月や火星の争奪戦の様相を呈している。

 一方で,民間の宇宙開発や深海開発は,娯楽産業が目的である。すでに深海旅行では大事故も起きている(海をなめるな,空をなめるな--タイタン潜水艇,スペースX,空飛ぶクルマ・・・ - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/6/24)。何億円も支払って個人の宇宙体験をして笑顔で中継に映ったオチャラケな日本人も出てきた。かつての海外旅行のように,航空機によって多くの人が旅行体験できるようになったのとはまったく次元が異なる,単なる金持ち向けの拝金ビジネスである。世界の富豪しか楽しむことができない世界である。

 さて,日本の宇宙開発,深海開発だが,これは純粋なサイエンスを目指しているように思える。特に深海開発については,世界に冠たる「しんかい2000」という探査船を作り上げた。深海生物の生態などの新しい発見が続いている。

 一方で,宇宙開発は惨憺たる状況である。結局,日本には軍需産業がないため,ロケット技術を展開する先がなく,どん詰まり状態にあるからである。H3ロケットの打ち上げ失敗--日本は航空宇宙ビジネスから撤退すべき段階 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2023/2/17 と書いた。モノづくり技術も行き詰まり,この先はないと思うからである。それよりも,超大国各国が宇宙を目指したり,相変わらずの化石燃料開発に凌ぎを削っている間に,地球温暖化を食い止め,食糧危機を食い止め,自然災害による被害を減らす技術の開発に特化すべきではないかと,改めて言いたいのである。

 宇宙の果てがどこか,宇宙の始まりは何か,深海の底には何がいるか,などの夢を追っている場合ではない。もはや,屋根の上で望遠鏡で空を眺めていても,何も得られるものはないし,身近な生き物もどんどんいなくなって,わざわざ東京の昆虫ショップまで買いにこないとカブトムシもクワガタムシも飼えない状態になっている(https://www.nhk.jp/p/72hours/ts/W3W8WRN8M3/episode/te/N97YQL46NV/)。サイエンスさえエンタテインメントというビジネスになってしまっている状況である。

 いま,大学受験で理科として生物を選択する生徒は激減している。医学部で生物の選択肢をなくした大学もある。生き物の不思議からスタートして,生命の尊厳につながる医師の道を選ぶ,という理想的な流れが断ち切られてしまっている。

 もっとも,医療にしても生命科学にしても,生き物と向かい合う場面は皆無となってきており,検査装置やシーケンサーなどの測定装置のブラックボックスから出される数字だけで研究が進んでいるような時代である。ほんの一握りのフィールドワークを行う生物学者や地学者が唯一,生き物や石,化石などと出会って感動を覚えられる。しかし,それで食べていくことは容易ではなく,通常のキャリアパスで推奨することもできない。サイエンス雑誌が次々と消えて行った背景には,サイエンスを楽しむだけの余裕もなくなってしまっているからではないかと考える。