jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

カラスのあとにクマが来る--と仮説を立ててみた

ここ1年ぐらい,急にクマに襲われる人が増えている。

 原因を素人的に分析してみると,①人間の居住区域が広がり,クマの暮らす区域が狭くなった,②エサの量が減り,人間に居住区域まで行動する機会が増えた,③人間と接する機会が増え,人間が自分よりも力が弱い存在であることを学習した──などが考えられる。

 もともと,①はどの生き物に対しても人間の存在そのものが厄介なのである。区域を広げるばかりでなく,棲家である森の木を伐採する。②でも,エサであるキノコを勝手に採って行ってしまう人間に対して,反感を持つだろう。もっと厄介なのは,人間のエゴが招いた地球温暖化によって,森が疲弊し,エサそのものが減ってしまっていることである。一方で,クマの生育地に近いところは農業を営む農家が多い。食べ物となる農作物がたくさんある。農作物にも手を出すようになるのは時間の問題だったのかもしれない。

 森と人間の居住地の間には,かつては里山という緩衝地帯があった。人々はここで燃料となる薪を集めたり,森の恵みであるキノコや野草などを食材にしていた。クマなどの生き物との共存地帯であり,距離を置いてうまく棲み分けていた。しかし,人間の居住地が拡大するにつれ,里山はなくなり,生き物と人間が直接ぶつかる状況になってしまったと言えるだろう。

 またかつては,クマは人間を恐れて近づかなかった。人間の存在そのものがクマにとっては恐怖の対象だったからである。猟師の存在もおそらく寄与していたと思われる。しかし,猟師は減り,人間の居住地に足を踏み入れても,それほど危険を感じなくなったクマは,さらに人間と対決しても自分の方が力が強いことを学習したのではないか。世代を重ねるにつれて,クマにとって人間は恐れるに足る存在ではなくなってきたのではないか。クマ避けの鈴や,大きな声を出して歩けば,クマは遠ざかっていた時代は,もう終わってしまったのかもしれない。

 同じように,イノシシも人里に多数出没して農作物を荒らす。イノシシはもともと,人間をあまり怖がらない生き物なのだが,突進して突き倒しても,あとは走って逃走するパターンであり,噛まれたり殴られたりして死に至ることは少ない。シカ,カモシカなどが町中を走るようになったケースもこれに近い。

 サルも,人里に降りてくる。こちらも人間に対して恐怖心を覚えることが減ったと見えて,凶暴になっている。死に至ることはないが,人間に対しての威嚇から引っかき,噛みつきは当たり前のようになった。

 人間と他の生き物の生活距離が近づいている。その典型が,カラスではなかったのか,と思い始めている。これほど町中でカラスを見かけるようになったのは,ここ15年ぐらいなように思う。頭のいいカラスが,人里でも安全に生活できることを覚え,人里にある生ゴミを筆頭とする食糧を覚え,そしてかつてスズメが電線に夥しい数で留まっていたのと同様に,電柱の上に集団で留まってエサを狙い,そして人間にも襲いかかる。

 仮説としては,カラスが得た知識が森の動物たちの間で情報共有され,人里にはエサがあること,人間は個別には自分たちより弱いことが伝わっているのではないだろうか,と考えたのである。さらに,カラスが持ち帰ったエサについた人間のニオイが,かつては恐怖の対象だったのが,ニオイに慣れてしまって,恐れなくなったのではないだろうか,と考えることもできる。逆に,この人間のニオイを,闘って勝てる相手だと認識した場合,人間を容易に襲う行動を取るようになるのは明らかである。

 日本の生態系の頂点にあったクマが,侵入者としての人間に対して,かつての恐怖対象から改めてボスになるために闘っているとすれば,これこそ自然の流れである。人間が創り出したプラスチック文化,使い捨て文化によって,そのしっぺ返しが来ているような気がする。

 もはや共存の道はないのかもしれない。クマやイノシシに襲われ,人間が確保したい食糧を奪われる事態だとすると,やはり屋内で効率的に作物を作る植物工場や陸上養殖などの方法を取らざるをえないのではないか。工場なら,クマが容易に入ることを防ぐこともできる。

 都会にもカラスが飛び回っている。そこにエサがあるからである。次は大型の生き物が現れる前兆という可能性がある。渋谷の町中にイノシシやクマが現れる日も遠からずやってくるのではないかと考える。しかしそのときはすでに,人間も生活困難な地球環境になっている可能性も否定できない。嫌なシナリオを描いてしまったと思っている。何とかこの流れを止めなければならない。