海に漂うレジ袋をウミガメがクラゲと間違えて食べて死んだ。プラスチックストローがウミガメの目に刺さった。そういう痛々しい写真が基になって、レジ袋有料化や紙ストローへの置き換え運動が続いている。プラスチックは悪いとして、両者が言わば「魔女狩り」にされた形のように感じる。
では、プラスチックを使わない生活に転換したのかと言えば、まったく変化はない。パッケージでのプラスチック使用量を減らしても、結局はゴミになる量は変わらない。企業努力と言っても、それは企業のイメージアップ戦略でしかない。企業は持続可能かもしれないが、地球の持続可能性は一向に良くなっていない。
海洋生物(クジラ系,イルカ系,アシカ系,ウミガメ,サカナ系,ウミドリ系)に対して最も多いプラスチック系廃棄物は,漁網だと言われている。漁業操業の途中で岩に引っかかって破れた網を,そのまま投棄するからである。大型漁業になればなるほど,使い捨て状態になる。この漁網に絡まった海洋生物は,網を外すことができず,いずれ網が身体に食い込んで死を迎えてしまう。海洋プラスチックゴミの半分がこの漁網なのである。しかし,漁業をやめろ,とは言えないのが人間様のご都合主義であり,世界中の漁業従事者が一攫千金を狙って日々危険な操業をおこなっている理由でもある。レジ袋をやめようが,プラスチックストローをやめようが,ほとんど関係がない。海底で50年経っても分解されずに発見されるお菓子のプラスチックパッケージの方が,レジ袋やストローの何十倍も多く投棄されているのである。
このプラスチック製品が「分解」して目に見えなくなれば問題が解決するように語られることが多いが,単にバラバラになって小型化,微細化するだけで,分子レベル,原子レベルまで還元できるわけではない。
一方,近年問題になっているのがマイクロプラスチックだが,これも定義に誤解がある。報道などで問題視しているのは,砂粒ぐらいから直径が3mmぐらいの目に見える「プラスチックの破片」である。ポリバケツ,トロ箱と呼ばれる漁業で使う発泡スチロール製の箱,家庭でも使うスポンジ,液体洗剤のプラ瓶,そしてレジ袋などが,屋外や投棄先の海などでの放置によって劣化し,ボロボロになったかけらである。海岸に打ち上げられてボロボロになることもある。砂の中に混じっている。
このプラ片は,海洋生物の体内に入ることはあっても,ほとんどは異物として排出される。エサと間違えて食べることもない。命にまで影響を及ぼすことは少ない。貝の場合は体内に残ることもあるが,砂抜きの過程で排出できる。「汚染状況が目に見えるプラスチックゴミ」として,“マイクロプラスチック”と呼ばれているが,「微細プラスチック片」という具合に別の呼び方をすべきだと筆者は考えている。海洋調査でも,一般にプランクトン捕獲用の網で水を濾し,その中に含まれるプラ片を報告しているが,海洋汚染の事実としては確かだが,実質的な被害はそれほどないものだと考えられる。
むしろ大問題なのが,目に見えないほど微粒化した「マイクロプラスチック」である。この元凶として最近報告されているのが,タイヤの摩耗粉である。プラスチック包装などはある程度代替案は存在するが,タイヤの代替物を提案するのは非常に困難である。タイヤ摩耗粉も世界中で発生し,風に飛ばされ,やがて海に入っていく。またさらに微細化したマイクロプラスチックが空中を漂っていることも報告されている。
この目に見えないほどのサイズのマイクロプラスチックは,静電気によって周囲の微生物やウイルス,PM2.5などの汚染物質を吸着しやすいことも報告されている。生物がこのサイズのマイクロプラスチックを水とともにほとんど意識しないで体内に取り込むと,汚染物質が吸収され,これが生物の体内に蓄積される可能性がある。
水俣病では,工場排水の中にあった大量の有機水銀を魚が体内に吸収したことで人の健康被害が出た。マイクロプラスチックによる魚の汚染は,微量な有機水銀などを長期間にわたって摂取することで体内への蓄積が進むことが懸念されている。
このことを考えているうちに筆者は,マイクロプラスチックのもう1つの大きな元凶に思い当たった。それがペンキである。ペンキは,顔料で色をつけた合成樹脂である。タイヤと同様,人間の生活に欠かせない。しかし,一般に寿命は10年程度である。劣化して剥がれたりするほか,メンテナンスで塗り直す際,古いペンキを剥がして塗り直す。剥がした粉は空中に飛散したり,地面に落ちたりして回収されることはまずない。やがてさらに微細な粉となり,最終的には海洋にまで達すると考えられる。一般家庭の壁の塗り替えのほか,東京タワーや明石海峡大橋,船舶,そして近年では風力発電のブレードなどのメンテナンスに大量のペンキが使われる。
当初,プラスチックはゴミ焼却場で燃やして処分してきた。しかし,有毒ガスやダイオキシン,二酸化炭素の大量発生と,燃焼時の高温による焼却ガマの破損などが問題となり,一時期は焼却せずに埋立地に埋め立てたり,不法投棄の対象となった。適切に埋められなかったプラゴミが風に飛ばされてそのまま海に入ったり,埋め立てても数年後に劣化して粉々になったプラ片が海に流れ込んだりした。
その後,燃やすとダイオキシンが発生する塩化ビニールの使用が規制され,プラゴミはまた焼却処分となっているが,大部分はまだ埋め立てで処分されている。今後も海洋への流出を止めることは,まず不可能な段階まで来ている。さらに,目に見えないサイズのマイクロプラスチックによる海洋汚染も,もはや取り返しがつかなくなっていると思う。
現在,家電製品の大半が中国,韓国,台湾などの諸国で生産され,世界に流通している。半分は中国での生産と思われる。低コストを維持できる1つの理由は,人件費を抑えることだが,ほかにも材料費を抑えることも重要である。かつて公害大国だった日本では,ダイオキシン問題も含めてさまざまな公害対策が取られてきた。材料の品質管理も十分に行われていた。かつて世界No.1だった工業国の誇りが,材料の品質である。しかし,その工業国としての日本が凋落し,世界の工場の座を中国に奪われて,正直言って品質管理が徹底されているとはとても思えない。どんな物質が入っているか,見当もつかない。製造時に廃棄物についても同様で,公害対策などほとんど取られていないと考えられる。その製品が世界に流通し,やがてゴミとなり,廃棄・投棄され,微細化してもその分解したカケラや粉に有害成分が入っていた場合,汚染はさらに深刻になる。
かつての日本人も,戦後の経済成長の中で廃棄物垂れ流し,汚染物質撒き散らしでモノづくりをし,世界No.1の座にのし上がったのだから,他人のことをとやかく言える筋合いではない。逆に現在では,コストカットのために企業経営はブラック化し,産地偽装などの詐欺行為にまで及んでいる。日本も落ちぶれたものだとつくづく嫌になる。
環境会議に行っても,石炭火力をなくさない日本は「化石賞」をもらうという悲しい状況で,いくら良いことを言っても誰も相手にしてくれない。
マイクロプラスチック汚染を含むモノづくり系では,日本はもはや発言力はない。ならば,新エネルギーである水素と,高品質管理できる陸上養殖や植物工場などの食料分野で,世界に貢献することこそ,今必要なことだと改めて主張したい。