「コンピュータが人類の知性を超えるとき」がシンギュラリティ(特異点)と呼ばれている。人工知能AIがインターネット経由で膨大な情報を高速に処理して,まるで人が創作したような情報を生成できるようになり,いよいよ数年後にはシンギュラリティを迎えることが現実になってきた。筆者はこの世界への突入を大変危惧している。
というのも,すでにスマートフォンで自分をインターネットへ接続して相互にやり取りすることに,多くの人々が無抵抗,または危機感のマヒを起こしているからである。
そういう意味では,感覚的にはすでに人間とコンピュータの主従関係が逆転してしまっていると筆者は捉えている。
スマホの前段階であるパソコンや携帯電話の時代は,あくまでも人間が機械を使う側にあった。何かのアクションやプログラミングを動かさない限り,コンピュータは答えを出してこないし,番号を入力しなければ電話で相手と連絡を取ることもできなかった。良きにつけ悪しきにつけ,人が主体的に存在し,コンピュータは人を補佐する関係にあった。
ところが2024年末に登場した生成AIは,インターネット上の情報にアクセスするばかりか,そこにつながるスマホの個人情報にまで手を伸ばしつつある。かつてはハッカーが悪意を持ってパスワード破りなどを仕掛けてきたのと同じように,生成AIが自分を発展させるためのさらなる情報を求めてあらゆる情報源に手を伸ばし,悪意なくパスワード破りもしかねない状況にある。
スマホユーザーである人間は,悪意ある人間からの偽の情報に対してほぼ無抵抗に応えることにより,偽サイトに誘導され,パスワードを盗まれるなどで被害に遭うケースが増えている。ネットの向こうの相手がに対しての警戒心がほとんど湧かないからである。
同様に,生成AIが提示する答えに対しての警戒感もどんどん薄れている。かつては悪意のある人間が苦労してでも作っていたフェイクニュースやフェイク画像,フェイク動画,そしてフェイク音声が,生成AIでいとも簡単に作れてしまう。その情報に対して,ユーザー側の人間はほとんど無抵抗である。
スマホの向こうには,実在する相手もいるが,実在しないフェイクな情報がどんどん増えている。スマホ画面を通じてのインタフェースでは,リアルなのかバーチャルなのかの区別をつける方法がどんどん無くなっている。
そのリアルとバーチャルの境界が見えなくなっていることに対して,疑問や恐怖を覚える世代と,何の疑問もなく受け入れてしまう世代との間で,すでにギャップができていると思われる。
筆者は前者であり,したがって特定の情報にしかアプローチしないし,性悪説で「ひょっとしたらフェイクかも」と思いつつ,日々を過ごしている。主に使うのもスマホではなく,パソコンである。机の前に座り,おもむろに画面を開くことで,意識の切り替えができるからである。移動中にスマホを使う場合でも,メールの受発信と特定のアプリの限定的な使用に限り,余計なクリックをしないし,要件が終わったら画面を切ってポケットに片づける。
一方で,スマホにコントロールされているのではないかと思えるような人々が増えている。電車の中であろうが,歩行中であろうが,果てはクルマの運転中でも自転車の運転中でも,お構いなしにスマホ画面から視線を離さない。おまけに耳にはBluetoothイヤホンを差し込んで周囲の音も聞こうとしない。
結局,リアルな世界は人づきあいも含めて面倒くさいことが多いので,四六時中エンタメに向き合えるバーチャルな世界を安易に選んでしまうのだと思う。この傾向により,リアルな世界での仕事に対して価値を置くことができない。バーチャルな世界で,たとえばゲームをしながらでも収入が得られるからである。さらに投資から賭け事,行きつく先は犯罪にまでたどり着き,収入が得られることを知ってしまえば,リアルな世界で時間も身体的にも拘束されるような仕事をいい加減に考えてしまう傾向が出てくる。
人づきあいもバーチャル志向なので,リアルな結婚に対する意識も低い。まして,子供を作って育てることに対する意識も責任感も希薄になり,家庭内暴力や育児放棄などの悲劇が起きる。
所有欲も減退し,かつてはほぼ必須だったクルマの免許の取得率も下がっているし,大金を払って所有することもなくなる。なんでもシェアリングで済ませてしまう。自分の持ち物ではないので扱いがぞんざいになるし,次の人のことを考えることもない。
パソコンは,人間の代わりに処理を高速に片づけてくれるツールであり,自分が主体の相棒になりうる。自分が何をしたいかを主体的に考え,ソフトを使ったり,プログラミングして自動処理させたり,必要なデータをインターネットから集めて分析したりする。
これに対してスマホは,人間の行動をコントロールしうる。自分が何もしなくても,勝手にバーチャルの世界ではストーリーが勝手に展開していってしまう。
このスマホを,まだ将来の自分の在り方を決めていない若者,特にゼネラルな勉強をしている高校生以下の若者が日常的に使うことは極めて危険である。将来の自分の役割,つまり仕事を通じてどのように社会に貢献していくか,そして収入はその報酬として存在するということを認識する前に,バーチャルな世界を知ってしまうことは,将来のリアルの世界での仕事,結婚,子育てといった人間としての在り方を否定するからである。汗水流して働かなくても,スマホでチョチョイと操作すれば,あるいはエンタメを中心としたコンテンツを発信すれば,お金が簡単に舞い込んでくる,ということを知ってしまうと,特に「仕事」や「組織」「人づきあい」といったことに関する価値を否定してしまう人間になってしまいがちだからである。小学生がなりたい仕事の第1位が「Youtuber」だったというアンケート結果は,国や世界の崩壊を意味しかねない恐ろしい事実なのである。
筆者がスマホを手にしたのは50歳を過ぎてからのことで,便利に使っているが限定的だし,SNSもYoutube,TikTok,Instagramなどはほぼ見ない。しかし子供たちは高校時代にスマホを使い始めてしまった。しかし,大学でパソコン使用が必須になったこともあり,スマホにのめり込むことはなかったようである。それでも,卒業後の仕事ではタブレットを使うことがメインになったとのこと。筆者はいまだにタブレットとタッチペンによる手書きで仕事をすることはできない。
スマホやゲーム機でバーチャルな世界にはまり込んでしまっている若者に対して,おそらく今さら英語教育やプログラミング教育などを加えても何の役にも立たないと思う。自分で考えて英語やコンピュータをツールとして使う主体性がなければ,何の役にも立たないからである。
さらにここにAIが搭載されると,スマホもパソコンも自分の相棒ではなくなり,場合によっては自分の主人になってしまうかもしれない。AIの出す答え(いや指示)が正しいと信じて行動するようになれば,まさに人間崩壊となりかねない。
現在問題となっているおコメや年金の話題も,正規の仕事をしていない人にとっては関心がないように思える。正規の仕事は,組織による時間拘束が基になっているので,容易に収入を増やすことはできない。しかし非正規状態であれば,いくらでもアルバイトでプラスすることもできるし,バーチャル世界でのマネーゲームで大儲けする手段もある。事実,投資で生きている富裕層は,コメが上がろうが肉が上がろうが,常に最高の食事を取ることができるし,年金生活など考えもしない。困っているのは,正規雇用で給料が上がらず,家族を持っている人である。就職氷河期の人たちも,当時は希望の就職ができなかっただけで,不服はあっても雇われて仕事をしているからである。
スマホで育った世代の人たちは,リアルな世界での仕事もせず,まして汗水流して働くことも,コツコツと地道な仕事を続けることもせず,自分の好きなバーチャルの世界を楽しみながら,同時にバーチャルな世界で収入を得るという生活になるだろう。すると,コメづくりを日本でする人がいないので,海外からの輸入に頼るのか,はたまたサプリメントだけで生活するのか,といった未来になるのかもしれない。当然,年金の原資は使い切ってしまうのだが,身体は不自由になっても手元のスマホのワンクリックでお金が入ってくるような人生になるだろうから,年金も要らなくなる。その代わり,国というまとまりもなくなり,リアルな世界も現在バーチャルな世界で進行しているような無法地帯になってしまうという未来なのかもしれない。
筆者の寿命はあと10年と見ており,シンギュラリティを過ぎた世の中を横から眺めることになるだろう。スマホ人ではないので,リアルな世界でのアルバイトで食いつなぐしかないが,日本がまさに無くなるであろう姿をイメージしつつ,この世を去ることになるだろう。ある意味ではそれは幸せなのだが,残した子供たちの世代に対して申し訳ない思いがある。