生き物が,地球上の地域によって姿,形,食べ物を変えて棲み分けて生きてきた。種の多様性は,気候変動によってその種が絶滅することを防ごうとする自然の摂理だとされている。
一方,ヒトは他の生き物と同様にその地域の気候に合わせて多様な文化を生み出してきたが,高い知能を持ち,高い好奇心を持つことで,言語を持つことができるようになり,これによって他地域に進出して「融合」あるいは「支配」のいずれかの方法で住む地域を拡大してきた。
近代社会を考えると,移動手段が船から飛行機に進化し,移動範囲が世界中に広がったが,見方を変えれば「行き止まりまで来た」「これ以上移動するとぶつかる」という限界まで来てしまった。そして,他の生き物と棲み分けていた土地に入り込み,この場合は完全な「支配」「根絶」で森の木々を伐採し,平坦化し,畑を作ったり建物を建てたりしてきた。生き物の食物連鎖のルールや,共存のルールを破った形である。
ここ数年,クマやイノシシ,サルなどの山にいた動物による被害が増えている理由の1つは,ヒトが生活領域を広げ過ぎたことである。もう1つの理由は,地球温暖化という気候変動によって,山の食べ物が育たなくなり,ヒトの居住地域に降りてきて衝突した形である。
産業革命以降の地球規模の気候変動は,ヒトの知能と好奇心が大きな要因になっていることは確かなようで,それを抑える知恵がないところがヒトの限界なのかもしれない。つまり「やめる」ということをヒトができなくなってきていると思われる。
もともと「やめる」ことはできないのが本性であり,これを抑えるのが「知恵」であり「教育」であり,また「政治」や「宗教」もルールを作って「やめる」線引きをしてきたはずなのだが,21世紀に入ってこのすべてが壊れてしまった。
その最大の元凶はインターネットである。世界中のあらゆる情報を瞬時に知ることができるのが最初のメリットだったが,逆にすべてのヒトが情報を発信できるようになったことで,ルールがなくなってしまったのである。
ルールのないインターネットの世界では,情報発信者がリーダーになり,ヒトの最大の欲望であるマネーを支配する方向に動く。国も世の中も何も関係なく,ひたすらマネーゲームをしてカネを稼ぐ。また勝手なシステムを作って詐欺同然の方法で他人のカネを奪う。マネーゲームによってリアルな企業が倒産しようが,世界経済が混乱を起こそうが,一切関係ない。日々,市場を操作してひたすらカネを稼ぐ。
朝,定時に会社に出勤し,夕方帰るまでひたすら同じ作業を繰り返し,疲れて家に帰る,という普通の勤め人としての生き方より,自分勝手に時間を使って,会社人以上のお金を手にできるとすれば,人は楽な方を選ぶだろう。日本は,戦後のモノづくり企業の努力によって世界No.1の地位を得たが,国策で世界制覇を目指した中国にモノづくりの基盤をほぼすべて奪われた。企業が従業員を手厚く正規雇用することがなくなり,2/3が非正規雇用で退職金もなくなった。企業に対する忠誠心もなくなり,汗水流して働く日本人がいなくなった。カネの成る木にアリのように集まるだけの国民になってしまった。
近年,耳にする「多様性」は,お互いの立場を尊重しよう,という意味だが,生き物の多様性のように「棲み分け」ができていない。このため,お互いの利害やルールがぶつかって,揉め事になる。ヒト以外の生き物だと,それ以上の無駄な争いを避けて,棲み家を変えて棲み分けるのだが,ヒトは同じ場所で多様性を主張し合うため,ぶつかる。
進化の法則から言えば,環境に適した種が生き残り,適応できない種は滅びることで,より環境に適した種が次の世代につながるというのが自然な流れである。しかし,今のヒトの世界では,「ルールを破って,つまり一般的に犯罪と呼ばれる行為をして,他人の成果物を奪う」という手段が,最も効率良く生きる道になりつつある。リアルな社会における窃盗や強盗,そして詐欺,またバーチャルなインターネットの世界におけるマネーゲームが横行するのは,ルールがなくなったことによる。
おそらく,バーチャルな世界でお金を儲けることを「仕事」にしている人は,政治にも社会活動にも,そして戦争にも地球温暖化についても,まったく関心がないのだと思う。それがリアルな世界では犯罪と呼ばれていようが,ルール破りと言われようが,バーチャルな世界では誰も文句は言わないし,逆にもっと恐ろしい犯罪も行われているので,罪の意識などまったくないのだと思われる。
さて,リアルな世界は多様性のぶつかり合いで混乱状態が続き,全体で守るルールも形成できず,開発・発展と称して化石エネルギーの大量消費と汚染物質やゴミの排出が続き,気がついたときにはエネルギーも食べるものもなくなって,その確保のための殺し合いが続き,最後は核兵器の使用で全滅,というシナリオが見えてくる。それでも全滅しないで生き残るのが,知恵者なのか,狂人なのか,分からない。
人間が,多くの新しい知識を得てきたのは物理学による貢献である。その知識を生活に還元したのはモノづくり産業による貢献である。ニュートン力学による直感的に分かる世界で直感的なモノづくりが進んだ。しかし,アインシュタインの相対性理論の段階に入って,その理屈を頭で理解できたとしても,身体で理解できない。
おそらくこの相対性理論が理解できるかどうかで,旧人類と新人類が分かれるのだと思う。筆者は相対性理論を理解できない旧人類側である。ただ,旧人類の方が生物としての正直な生き方をしていると思う。常にリアルの世界での幸せを願っている自分が正直だと思っている。バーチャルな世界,マネーの世界には,基本的に足を突っ込みたくない。
リアルな世界を考えたとき,人類の文明はこの辺りで一度立ち止まった方がいいと感じる。このままバーチャルな世界を突き進み,AIがいずれ人間の頭を超越してしまったとき,それを支配する新人類は生き残り,旧人類は死滅するだろうが,バーチャルな世界で食べ物は確保できない。またバーチャルな世界を動かすエネルギーも生まれてこない。
筆者的には,AIがより賢くなり,そして神のようになって,バーチャルな新人類をまともな人間に戻るように洗脳してくれることを願っている。今のAIは,生成AIと称してネットワーク上の文化の盗作・捏造をしている。いわば犯罪に加担している側にいる。つまり,やんちゃなAIである。これができれば成熟した大人のAIになって,「こんなことができるが,迷惑する人がいるからやってはいけないよ」と指導してくれるAIになってほしいと思う。そのときには,人類が目指すべき理想の世界に対してのルールが大人のAIによって作られ,地球に平和が戻ってくると思う。ただ,地球環境の破壊の方が先に進んで,全人類破滅にならないことを願う。また,複数の大人AI同士が喧嘩して暴走することにならないことを願う。