なんと筆者の親戚には,兄弟とも芸術の才能のある若者が2人いる。兄は絵画。弟は映画である。カミさんの側の親戚の子供に当たる。
兄は,独創的な画風で,大学生の間に評価され,招待でパリに1年間留学をし,その後も国内で個展を開いている。
弟は,高校生のころから映画を制作し,つい最近,世界的にも有名な賞を受賞。都内の映画館で公開されている。ウチの家族は,その映画鑑賞に出かけたところである。
カミさんは,若いころから映画が好きで,定期的に観に行っていたらしい。一方,筆者は映画との縁が極めて少ない。中学生のころ,母親の友人の息子さんのお兄さんに連れていったのが,「スターウォーズ」の1作目だった。面白かった。
しかし,その次に映画を観に行ったのは,カミさんと観に行った「マークスの山」だった。重い映画だった。
映画が嫌いなのは,一つは映画が虚構,フィクションだからである。もう一つは,映画館が暗いからである。最後は,2時間の間,身動きができないことである。
映画のストーリーは,原作者および監督によって意図的に制作されている。ストーリーなので当たり前だが,これは一種の情報操作である。たとえば,戦争の悲惨さを描くにしても,死を描いたり,家族を描いたりするが,そもそも戦争は相手を人として意識せずに,相手を打ち負かすことを前提に展開されるから,そこに製作者の意図によって描き方がまったく正反対になることもある。
ノンフィクションであっても,監督の視点で場面が展開される。本当に事実なのかどうかは,別途調べてみる必要がある。
ということで,映画はいわば情報操作,もっと言えば洗脳である。
筆者はジャーナリストとして,公平な情報提供を心がけている。1人の話を聞いて報道することは,ジャーナリストとして決してしてはならないSingle Source journalismである。複数ある視点をきちんと公平に提供することが,ジャーナリストとしての使命であると信じている。読者は,読んだ情報を元に反対,賛成,その他という自分の意見を形成する。一方的な情報提供は,ありえない。したがって,映画のような思い込みのストリーに,自分で考える余裕もなく,展開されるメディアは苦手であり,嫌いである。
ということで,筆者は映画を基本的に観ない。自分の感性と合わない内容であっても,席を立てないのが苦しい。小説も同様である。特に1年後にどうなっているかわからない芥川賞,直木賞の作品は,基本的に一切読まない。ベストセラーも読まない。自分の感性を崩されるのが嫌だからである。