jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

毒をもって毒を制す・・・なのか

秋篠宮眞子親王が「複雑性PTSD心的外傷後ストレス障害)」であることが公表された。婚約者である小室圭氏の母親の借金問題についてのマスコミの執拗な報道に心を痛められたことによる,との解説である。

 まず,何度も断るが,ワイドショーの取材は低俗な週刊誌の取材のレベルと同じであり,素人のしかも芸能人のコメンテーターや局解説委員が,ああでもない,こうでもない,と発言しているエンタテインメントショーであり,その情報をまともに捉えること自体がバカげている。それをまた,偉そうに批判する大学教授陣がいるから,ややこしい。よほど暇なのではないかと思うのである。つまり,どちらも暇だなぁと筆者は思って呆れているのである。

 そもそも,民放テレビはコマーシャル収入で成り立っているので,スポンサーが集まる=視聴率が高い=何でもする,という世界である。今や,すべての番組がお笑い芸人によるMCで構成されており,点数稼ぎのために何でもありの報道がされている。その本質を突かずして,番組批判,メディア批判をする大学教授陣は,「木を見て森を見ず」にすら気づいていない。

 それにしても,筆者はやはり, 眞子さま,目をお覚ましください・・・ - jeyseni's diary 2021/9/2 のコメントを改めて引用したい。何かおかしい,何か変だ,と認識してほしい。それを妨げているのが,この複雑性PTSDという病だというのなら,今回の結婚を強行し,アメリカに移住する,という選択が,その治療になる,と両親も宮内庁も考えているのだろうか。一時的に不安が消えるかもしれないが,正直言えば,ワイドショー系のマスコミはおそらくこれからもずっと,パパラッチ的に小室圭・眞子一家を追い続けることは容易に理解できるのではないか。ならば,と筆者は言いたいのである。

 小室家に借金があったこと,母親の元婚約者との間でトラブルがあったことは,事実であろう。この解決についてもまだ釈然としない。延々とマスコミの追求は続くだろう。それを下劣というか報道の自由というかは,それぞれの立場によるが,一生付きまとわれることは疑いようがない。

 眞子さまは,これまでの皇族と異なり,お膳立てされた役割をこなすだけでなく,伝統をも覆して,自らの意思で進路を選んで来られた。何をいまさらこの結婚にこだわる必要があるのだろうか。こだわる理由がかえって不自然な印象がある。むしろすっきりと解消して,一からやり直す方が,複雑性PTSDを払拭する最高の薬になると思うのである。小室氏との結婚は,薬というより薬物使用による逃避に思える。毒をもって毒を制すといった感じなのだが,制しきれずにますます深みにはまっていくような懸念を抱いている。

 秋篠宮親王・紀子妃におかれても,結婚は本人の自由だ,みたいな分かった口を聞くのではなく,ほっぺたを張り倒して目を覚まさせるぐらいの気概がほしい。成されるがままになっておられるのではないか。「小室くん,悪いが身を引いてくれたまえ」と言えないのだろうか。3年間,娘を放ったらかしにしてアメリカでノウノウと自分のことだけ考えていた小室氏を,息子として迎えられるのか。それこそ,秋篠宮家そのものがPTSDにならないのか。特に紀子さまは大丈夫なのか,心配である。佳子さまのヤンチャぶりも気になる。

 宮内庁も,こんなときに「忖度」している場合なのだろうか。天皇家の根底を揺るがすことにもなりかねない案件である。

 10/26に記者会見が予定されている。なぜこの日なのかもよく分からない。帰国して,挨拶に行って,納得のいく答えが得られて,それから会見の日程が決まるはずなのに,なぜ会見の予定が先に決まるのか。記者会見をしたらオシマイ - jeyseni's diary 2021/9/26 と改めていいたい。おかしいだろう。

 どんなに努力をされても,いい結果は生まれないと筆者は思う。リセットして再起動する勇気を持っていただきたい。人生まだまだ長いのだから。東大博物館の仕事に没頭してもいいではないか。女系天皇のお鉢が回ってくることもなさそうだし,PTSDのフラッシュバックから逃れるには,集中できる学問が最適だと思うのである。昭和天皇や平成天皇上皇様)のような,研究者としての成果を出すことも,人生としては魅力がある。あるいはもう一度留学して勉強し直したり,辺境の地でボランティアを経験したりして,視野を広げることが肝要だと思う。

 天皇家に生まれた「親ガチャ」を逆手に取って,天皇家以外の皇族・貴族家を選択してもいいのではないだろうか 「親ガチャ」ねぇ。嫌な言葉だけど口に出しちゃオシマイよ。 - jeyseni's diary 2021/9/15。書生に恋した「伊豆の踊り子」にならないことをくれぐれも願っている。