jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

自分たちを正当化するウソをウソと思わない教育--これが外務大臣の責務だというコメントに恐怖心すら覚える

Wikipediaによると,プロパガンダとは「特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為」という意味だという。ウクライナ侵攻におけるロシア側のコメントが,プロパガンダだという捉え方が一般的だが,これは,プーチン集団によるウクライナに対する戦闘行為は,“ウクライナ国民を盾としてロシアを攻撃しているウクライナ国からウクライナ国民を守るためにプーチン大統領が起こした行動である”という「特定の意識」にロシア国民を誘導するための行為,と解釈すればいいのだろう。そして,“自分たちが攻撃している相手は,ウクライナ国民に危害を加えているウクライナ軍やウクライナ政府である”とロシア国民に思わせようという発言だという。

 ラブロフ外相は,このような発言をすることが外務大臣としての使命である,という外相としての教育を受けているのだそうだ。そして,ロシア国民がその発言を信じないだろうということも知ったうえで発言をしているのだという。

 かつて,それほど重責を負ったことがない筆者にとっては,これはいわば洗脳ではないか,という恐怖心すら覚えるのだが,ひょっとしたら,「うんうん,なるほど」と納得する人も多いのかもしれない。政治家も,弁護士も,裁判官も,社長も,部長も,「本当はこんなことをしてはいけないのだが,組織のためにはこう言わざるをえない」という立場にある人は多いのではないか。何しろ,反論すれば失脚させられる,組織の論理には逆らえない,という人には,理解できるのかもしれない。

 タフ・ネゴシエーターと呼ばれる人が世の中にはいる。交渉事で絶対に譲らないで押し通せる人なのだが,もともとそういう能力を持っている人もいるのだろうが,さもない場合は教育という名の洗脳が行われるのかもしれない。組織に逆らえば粛清される運命にある。そのような恐怖政治がまかり通っているのかもしれない。

 一方で,妥協や降伏をしてでも国民の命を守るべきだ,と主張する日本の評論家もいる。ウクライナのゼレンスキー大統領もクレバ外相も,国を守るために一切の妥協をしないという姿勢である。妥協したり降伏したりすると,国がなくなってしまい,これまで独立を勝ち取ってきた意味がなくなる,という使命感が感じられる。日本も,第二次世界大戦で降伏したが,国体維持という名目で天皇制や日本語が維持され,神道軍国主義を破棄させられた。国を追われ,日本という国がなくなる可能性もあったのだという。その辺りの歴史認識が足りないのだという。

 やはり,社会主義権威主義の国家は,自由主義国家とは相容れないのかもしれない。ロシア,中国,北朝鮮など,一種の恐怖政治なのではないかと思われる。しかし,身近なところで,食品偽装やデータの改ざんなどを平気で行い,開き直る企業人や政治家がなんと多いことか。

 記者会見で深々と謝罪したり,土下座をしたりするのは,自己防衛でしかないが,まだ自分たちが間違いだったと認めているだけマシかもしれない。しかし,おそらく権威主義国のリーダーも幹部も,自分の発言が間違いとは認めず,また認識もしないように洗脳されているのだと思われる。そのすべての国が核兵器を持ち,ミサイルやICBM(大陸間弾道弾)を持っている。ボタン1つで第三次世界大戦が起きてしまう可能性がある。

 ロシア国民は,プーチン集団の政策に対して異を唱えて立ち上がってほしい。中郷国民も,立ち上がってほしい。一方,日本の政治家はもっとタフ・ネゴシエーターになった方がいい。日本は本当に生き残れるのか,心配なのである。自分の保身のためにだけ動いているだけではないかと思うことがよくある。