jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

有名人は自分のコメントに責任を取れるのか--「あくまでも個人的,一般的な感想」と前置きする必要はあるのでは

筆者は,世の中のさまざまな事象に対して素人である。したがって,いろいろな人の意見を読み,自分の中で咀嚼し,自分の考えをまとめて発言しているが,目前の事態に対する回答はとても出せるとは思っていない。ただ,分析をして将来的に可能と思われる提案をすることが,このブログの目的だと思っている。したがって目先の事象に対して賛成も反対もできないし,まして批判だけして終わることは絶対にしたくないと思っている。

 これまでも,テレビのワイドショーにおけるゲストコメンテーター,特に芸能人やアイドルのコメントに対しては無意味であるとしてきた。専門家を名乗る専門職のコメントも,いかにも専門用語を散りばめてもっともらしく発言されるが,常に正確であるとは思えないとしてきた。実際,法律,医療,メディア,○○学者を名乗るすべての「評論家」の意見は,ほとんど役に立ったことがないし,一般人の感想と大差なく,テレビ局側がコメントに箔をつけるためにゲストを呼んでコメントさせているだけだと感じる。

 本当の専門家は,結論を言うことはできないと思うのである。自分の研究や仕事を通じて得た真実は語れても,そこから演繹して未来を予測することは,専門家の仕事ではないからである。もしその予測が正しくなければ,これまでの自分の仕事を否定することになる。そんな恐ろしいことを言えるわけはない。したがって,どちらにも取れる発言がされ,「そんなこと誰でも言えるよ」と視聴者は思ってしまう。さらにメディアは,専門家の話の中から結論となりそうな一言だけを抜き出して強調し,いかにも専門家がこの結論を出したと言わんばかりに放送する。また,MCは巧みに話を誘導し,「先生がおっしゃりたいのはこういうことですよね」と読者をミスリードするような言い方を繰り返す。これはもう言葉の犯罪である。特にフリーのMCや芸能人崩れのMCのミスリードは極端である。

 一方で,芸能人や自称評論家によるコメントも,非常に無責任に感じることが多い。本当にこんなコメントをして,自分の人生の方向が変わってしまうのではないのか,と思わせる発言を耳にすることがある。テレビ放送というリアルな場では発言を取り消すことができないので,正直,こういう場に招かれることは恐ろしいと思うのだが,みなさん結構平気で軽い気持ちでコメントしているように見える。中には,パワハラ,セクハラ,放送コード逸脱,といった内容もないわけではない。特に年配の有名人と芸人タレントにこの傾向が強い。理性を司る前頭葉の衰えと,もともとの理性のなさによるものだろうか。

 たしかに,NHK流のアナウンサー司会,専門家解説,というスタイルは,見ていて面白いものではない。そのNHKも,伝統のスタイルを逸脱してエンタテインメントに走り始めているから,穏やかではない。どうしても,視聴率を稼ぎたいのなら,聴取料をやめて,民放と同じやり方で自ら収入を得る道を進んだ方がいい。NHK出身のタレントキャスターやタレントジャーナリストがフリーで民放でいい加減なコメントをしているのを見ると,もはやメディアの良心を感じられなくなっているのである。

 それにしても,本当の専門家・学者と言われる人たちが何をしているかというと,自分の立てた仮説を実証し,論文を書いてその世界で点数を稼ぎ地位を高める,ということにしか基本的に興味を持っていない。自分の興味の範囲にしか,情熱を燃やすことはなく,世の中のことを考えているとはとても思えない。実業の世界は企業に任せっぱなし。企業は経済の法則で動くので,結局は不正の温床となるか,正直すぎて潰れるかしかない。

 有名人ならば,自分のコメントに責任を持つべきだろう。いまの世の中,すべての発言に尾ひれが付いて拡散流布されていき,バッシングの対象にもなりうる。言い訳かもしれないが,「これはあくまでも個人的な一般的な感想ですが,」と少なくとも添える必要はあると思う。もっとも,「この人ならこういうコメントはしそうだ」と思わせる意図で発言したいのなら,それは止めないが,あまり調子に乗っていると足元をすくわれるのではないかと警告したいと思う。