歩いていて相手とすれちがう時、電車で助けを必要とする人を見つけた時、あなたはどうするだろうか。
自分が相手の存在に気がついた、ということは、あなたの意識が周りに向いていたということである。
周囲を意識したということは、おそらくあなたの方が先に状況を把握できたことになる。何ごとも「先手必勝」。先に意識した方が主導権を握れる。つまり、優位に立てる。
すれちがう時に、先に譲る。これを屈辱と思ってチキンレースをするのが凡人。賢人は、譲ったことで精神的に優位に立つ道を選ぶ。つまり、「譲るが勝ち」である。
助けを必要とする人との接し方は、別に「優位」に立つという意識でなくてもいい。それを意識しないでもみんなが譲り合える社会、それが意識を持つことのできたヒトの社会の理想なのだが、国ごとの争い、他人との揉め事、差別、ハラスメントが起こるのは、この「譲るが勝ち」ということがわかっていない凡人の世の中だということだろう。
多くの伝統宗教は、他人に譲ることを説いている。しかし、それを単なる美徳、自己満足、自分だけの神化、という説き方しかしていないのではないか。残念ながら、宗教活動もお金が絡むため、他教の排斥、堕落が激しい。無信教で、周囲に意識して思いやる。これが理想である。そこから道は開かれるだろう。