jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「食」に関する意見。大食い,激辛,創作料理に“オーバードーズ税”を加え,世界の飢えている人たちに還元したい

「Amazonアウトレット」を別建てにしてフードロス低減を - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/3/3 のブログで,「食で遊ぶな」と書き始め,フードロスを減らす世界の努力について紹介した。しかし,おそらく世界で本当に飢えている人のところに食糧は届いていないのが実情だと思う。

 アフリカでも,という言い方をするともう時代錯誤だが,インターネットやケータイを全く知らない人は,世界66億人のうち10%を切るのではないかと思う。ケータイより前にテレビの方が世界中で使われていたが,テレビが一方通行の情報しか流さなかったり,テレビを視聴するための電力環境を整備するのが大変なので,おそらくテレビよりもケータイの方が広がっていると予想している。世界の情報はインターネットとケータイ,PCで拡散していっていると予想する。

 ケータイやPCでは,情報を調べる,というアクションがあり,また世界中とつながっているため,どこの国の情報にもアクセスできるという特徴がある。学習の支援にもなる。個人同士の連絡にも使える。さまざまな高度な使い方がされていると思うのである。

 一方で,世界の人口の1/3の20億人が,1日1食しか取れていないという現実が続いている。SDGsの中でも最も憂慮すべき点であり,地球温暖化対策とトレードオフになる可能性も否定できない。

 フードロスを減らしても,その分を世界中で飢えている人のところに食糧が回ることはない。場合によっては「モッタイナイ(Mottainai)」意識を減らすだけの自己満足で終わる可能性もある。ロスしそうな食品を循環させることで,本来売れるべき食品が売れなくなり,経済がマイナス方向に動く可能性もある。

 意見の1つ目は,日々の食事に困っている世界の1/3の人に対して効率よく食糧を供給する方法をもっと真剣に考える必要があるということである。もちろん,フードロスの削減への取り組みは称賛されることである。

 2つ目の意見は,インターネットを通じて世界中から見られても恥ずかしくない行動をしようということである。特に「食」については,世界中で格差があまりにも大きすぎる。

 インターネットを通じて,それぞれの国の食文化が見られている。かつて日本の寿司は,高度成長期に一念発起した職人が海外に渡り,そこで死ぬような思いで地位を獲得して評判を得てきた。生魚への抵抗をはねのけ,海苔という得体の知れない食材を広めたのだが,今は世界中で寿司が作られて食べられている。ラーメンも同様である。

 しかし現在は,日本の食はインターネットを通じて世界に知られ,「和食」が世界文化遺産に登録されたりするような時代になった。かつての「フジヤマ,ゲイシャ」の国ではなくなっているのである。

 その日本で馬鹿げた発信をしているのが,「大食い」「激辛」「創作料理」だろう。

 世界中で大食い自慢はいる。しかしそれは,お祭りなどのイベントを盛り上げるのが狙いであり,会場でのエンタテインメントだった。しかし,日本の大食いは,これが毎日のテレビ番組で放送されたり,大食いタレントなるシゴトが成り立ったりする狂気の沙汰な状況になっていると思う。だいたい普通の人の10倍見当で食が出され,それが完食されるのを見て楽しむという内容だが,正直言って食べた人の栄養になっているとは思えず,ほとんどが排泄される運命にあると思うのである。完食できなかった食材は廃棄される。

 ローカルのイベントでの盛り上げならともかく,これが全国放送で流される。大食いタレントはまた,自分のブログやYouTubeでその動画を配信する。世界中でこれらが見られている。

 激辛番組も同様である。本来は文字通り「スパイス」であるはずの香辛料を大量に使う。スパイスは,もともとはクスリである。食欲を増進させたり,身体を温めたりして,健康増進のために使われる。これを規定以上使うことは,もはや食ではない。国産で供給される唐辛子はともかく,ハバネロジョロキア,コショウなどは,海外からの輸入も多いと思われる。その食の流れは,グリーンな流れなのかどうかの検証も必要である。

 そして,筆者が最も唾棄しているのが,創作料理である。さまざまな普通の料理に,牛乳を入れたり,レモンを入れたり,酢を入れたり,果物を入れたりする。新しい味なのだろうが,それは素材の味を殺しているのではないのか,と思っている。

 人類はかつて,ナマの食材に火を入れることで軟らかく容易に食べられることを覚えただろう。そして味付けとして海水からの塩分を使い,これが身体に必要なミネラルであることを覚えたのだろう。さらに,微生物による発酵により旨味を,果実による甘味を,そしてスパイスによる辛味を覚えて,食をコンスタントに得る方法を手に入れたのだと思う。

 発酵による味は,アルコール,醤油,ミソなどへと進化し,またチーズや納豆なども作られた。塩味,甘味,辛味などいずれも食材を活かすために組み合わされてきた。この食材の素材の味を生かすというのが,食の基本だと考えている。

 しかし,現在の創作料理は,複数の素材と複数の調味料を加えて,混合のマジックを演出しているだけのように思える。よく言えばエンタテインメント,悪く言えば「食材をもてあそんでいる」と思うのである。

 大食い競争と同じように,お祭りのエンタテインメントなら構わない。しかしこれが公共の電波に乗り,またインターネットで動画配信され,世界中で見られている状況を考えると,1日1食で命を食いつないでいる20億人の人たちに対して失礼だと思うのである。

 消費税は,すべての国民が同じ割合で支払うことで,国が予算として使えるお金の足しになっている。ならば,大食い,激辛,創作料理などで必要以上に消費される食に対して,“オーバードーズ税”のようなものを課し,これを世界の飢えている人たちに還元してはどうだろうか。

 エンタテインメントだけでなく,単なる大食いは,食材のオーバードーズのほか,エネルギーのムダ,そして何よりも医療の圧迫という弊害ももたらす。ここにオーバードーズ税を課すことで,大食いの人から余分にお金をいただき,これを国の健康保健に回すこともできるだろう。そうすれば,医療費の削減にもなる。

 正直言えば,このオーバードーズ税の対象となるような食行為そのものが,日本の品位を下げていると思うのでやめてほしいのである。売れるものなら何でも売ってしまうメディアのあさはかさに踊らされている日本人が世界から見られるのが恥ずかしい。

(ITを使った犯罪,高齢者を狙う詐欺,地位や身分のある人たちによる犯罪なども,日本の恥である。いずれまた考察したい)。