「蜘蛛の糸」(芥川龍之介)では,地獄で苦しむ主人公に向けてお釈迦様が1本の糸を垂らし,助けあげようとしたら,地獄にいる他の罪人も同じ糸を掴んで登って来,そこで糸が切れてしまう,というストーリーである。そこでは「欲」に対しての戒めがある。
一般人が巻き込まれているCOVID-19災害。救いの糸は何本も投げられているが,病院まで引き上げられるかどうかは,ほぼ運任せ状態になってきている。自宅療養者にも糸は投げられているが,それを掴んでも引っ張っても,その先がつながっていなくて登れない人も増えている。いったん引っ張り上げられても,それが病院までつながっていなくて,途中で切れてしまう事態も起きている。
一方で,おそらく特権階級の人たちへは,確実に糸が渡され,ガッチリとワイヤーで固定して最速で引き上げられる状況も見えてきている。糸にも色が付いていて,黄色いトリアージュを受けた人は,糸が付いていない状態,赤いトリアージュを受けていても,糸が完全につながっていない状態なのではないか。
国から自治体に対しても,トリアージュはしてもサポートする糸が付いていない。勝手にやってください,と言わんばかりである。学校に対しては,トリアージュすらせず,糸も付けず,それぞれの判断で2学期をどうするか決めてください,という責任逃れが発表された。
要するに,国が救いの糸を垂らせば,それに全国民がぶら下がってくるから,糸を出さない,という方針に変わった。あとは「自分の命は自分で守れ」「感染を受けたらそれは自己責任」として,党の党首選挙,解散,など自分たちの延命のための相談ばかりしている。
国民は今,全員が地獄にいる。しかし,COVID-19に感染して苦しんでいる人はいわば血の池でもがいている状態で,その他大勢はまだ,自分たちが地獄にいるのに平気で行動していて,地獄の中の丘の上にいるようなものである。
感染者数が毎日のように増え続けている状態は,いわばウイルスの雨が降り続けているような状態である。家の中にいればとりあえず雨風は防げているように見える。
しかし,雨が続けば,雨漏りして濡れてしまうかもしれない。外に出ないわけにもいかないから外出すれば濡れてしまう。さらに突然,土石流が起きて家自体が飲み込まれてしまうかもしれない。
警報はすでに1年以上,出されっぱなしである。「全員避難」のステージ4だというのに,避難先の病院が入院できない状態で,「自宅待機」「自宅療養」で,要するに「家にいたら災害に巻き込まれてしまう危険が極めて高いが,自宅にいてください」と置き去りにしているのと同じではないのか。
ならば,少しでも安全な「避難所」を至急作るという実に簡単な理屈になると思うのである。大阪府が作った「入院待機ステーション」,現在各地に設置が始まった「酸素吸入ステーション」,そして「野戦病院」でも富山市の「体育館の病床化」や「自衛隊設置病棟」でも「病院の空き地や大型施設への仮設病棟の建設」でも,とにかく医療従事者の手の届くところに患者を集める施設をがむしゃらに作ってほしいのである。
自宅療養は,1人暮らしの場合は症状が悪化した際の通報が遅れる危険性が高いし,症状悪化に気が付かずに手遅れになる危険性が高い。また家族がいる場合,いくら気をつけても家族への感染のリスクが高まり,感染者数が一気に増えてしまう危険性がある。往診診療のための移動時間がかかり,1日に10人も往診するなどとなると,医師の肉体的な負担も増えてしまう。仮設病棟でも100人の患者を数人の医師で巡回した方がはるかに効率がいいし,患者にとっても医師にとっても安全性を確保できる。
公立病院に「新型コロナウイルス専用病棟」を10日で作る - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2021/1/15 に書いたことをがようやく少し動き始めた。しかも,各自治体が独自に試していることを,政府が追認しただけで,結局カネも出さない仕組みになっている。
ワクチン接種の滞りも気になるところだが,とにかく今は目の前で陽性になってしまった患者さんの命を救う糸を,確実に投げて引っ張り上げるための,「行き先づくり」(入院先づくり)を先行させることが優先されると思われる。「3回目のワクチンを2022年に確保しました」と来年のことを言っている場合じゃない。