jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「他人のせい」にするのは簡単--行動の前にもう一度考える余裕と3秒先の予測を

新型コロナウイルスのオミクロン変異株とどう取り組むかについて,さまざまな意見や対応策が挙げられている。

 国と自治体が発令する「緊急事態宣言」と「蔓延防止等重点措置」は,人流を減らし,人との接触機会を減らすことが最大の目的だが,飲食業と観光業に厳しい制限を加え,その代償として協力金を払うという仕組みである。

 この2年間に発令されたこれらの措置だが,一般人の視点で見ると,措置に関わった政治家や自治体関係者が最も感染率が低い,あるいはほぼゼロなのではないか,と思えてくる。

 おそらく,毎日のように打ち合わせをし,リアルな場で活発な議論を重ねてきた。国会中継を見ても,席と席の間を開けるわけでもなく,間仕切りもない。実施しているのはマスクと体温測定,アルコール消毒ぐらいだろう。換気が十分にも思えない。マスクも,初期のころはアベノマスクや西村マスクなどの布マスクが中心だった。それでも,ほとんど感染者が出ていない。

 ここから何か学ぶことはないのだろうか。政治家の皆さんは,どうして感染しないのだろうか。一般企業には出勤制限してテレワークを推奨しているのに,国会も専門部会もすべてリアルな会議である。県をまたぐ知事会や,国境をまたぐ首脳会談はテレビ会議になっているものの,行政関係でテレワークをしているのを聞いたことがない。

 政治家の皆さんは,基本はクルマでの移動である。おかかえ運転手以外に移動の際に濃密接触する人はいない。打ち合わせ場所についても,会うのは見知った人ばかりである。つまりこの状況では何人と会合しても感染を受けることはない。

 食事も同様である。議員会館では自室で食事できるし,会食があったとしても同じ政治家仲間なので,感染リスクはない。わざわざ街の飲食店に出かけて飲食する人はいないし,出かけたとしても料亭や割烹で,一般庶民との接触のない個室で食事ができる。アルコールが入ったとしても,状況は同じである。

 唯一,感染リスクがあるとすると,外部の一般庶民による折衝の場にいることである。しかし,おそらく膝詰めで話をすることはなく,自然と距離のある状況になるのではないか。ここでも感染リスクは低い。

 三密を避けるだの,ソーシャルディスタンシングだの,テレワークだのというのは,一般庶民の普段の生活を否定することであって,政治家の生活を否定するものではないということである。休んでも給料は出る,1日でも文書通信日は1ヶ月分満額もらえる,という金銭感覚においては,日銭で生きている一般庶民の苦労や気持ちは理解できないのだろうと思われる。

 一方で,飲食業,観光業も,緊急事態宣言や重点措置が発令されたために,人流がなくなって営業ができなくなったと言って,黙って協力金が来るのを待つだけではダメで,新しいやり方に自ら切り替えなければならないだろう。テイクアウト,キッチンカー,宅配など,ロジスティクスと組み合わせる業態が増えてきており,両睨みで乗り切る模索が続いている。協力金はいらないが規制も受けない,という判断をした飲食店も増えてきた。政治家はこうした動きももっと敏感に捉えて,状況に合った措置に修正していってほしいと思うのだが,先に分析したように,政治家にとっては「他人事」なので,何もしない,というロジックになっている。

 医療現場も同様で,一般病院が所属する医師会は,少ない感染症病院での医療逼迫について「他人事」を決め込んでいる。せっかく,オミクロン変異株によってインフルエンザ並みの対応で重大事態に陥らない可能性が出てきているというのに,いっこうに患者引き受けの手を挙げない。感染症法のレベル分けに固執して,自分たちが関わらないように絶対に五類相当にさせないという強い意志を感じる。要するに巻き込まれたくないのと,自分たちの収入源である一般患者を守りたいというだけの意見である。

 公共交通機関も,マスク着用,窓開け,会話の遠慮をお願いはしているが,それを守っていない客も「お客様」だとして,差別しない。勇気を持って注意した高校生が重傷を負わされる事態が起きても,何らかの改善案を出す電鉄会社もない。

 このようなブログを書いている筆者も,「他人事」で済ましていることは多い。外食をしない,旅行をしない,エンタ系番組や貧困系・障害者系・人種系の番組はテレビを消す,など,関わらないことで距離を置いてしまうことは多い。テレワークができるという理由でテレワークを推奨しているが,リアルでなければならない仕事にも1枚かんでいるので,完全テレワークにはできない。自分でもズルいなと思うことが多々ある。

 だから言うわけではないが,自分も家族も関係者も医療者もそしてまったく関係のない人も含めて,他人のことを考えて可能な限りの努力をすべきだと思うのである。どうしてもリアルで出かけなければならない時は,不織布マスクに布マスクを重ねた二重マスクで,無駄な会話なし,相手と距離を取る,手を洗う,などを実行する。だれかがどこかで,この努力をしていないわずかな気の緩みがあることが,感染拡大を収束できない理由だと思うのである。

 どれだけ努力しても,絶対に感染しないと言い切ることはできない。自室を1歩たり とも出なくても,空気は流れているし,郵便物にウイルスが付着してそれを触るかもしれない。風邪ウイルスやインフルエンザも避けきれなかった。オミクロン株も絶対に避けられるということはないだろう。

 しかし,自ら努力を放棄することは,ひょっとしたら無意識のうちに,あるいは意識して他人に害を加える行為になりえる。傷害事件や殺人,放火などの重大犯罪はもちろん,さまざまなハラスメントも,知ろうとする努力,理解使用という努力,思いやりの努力が欠けており,自分だけ良かれと思う気持ちから生じるのではないだろうか。

 大学入試共通テストで起きた問題用紙の漏洩問題も,会場前での傷害事件にしても,事に及ぶ前にもう1回考える余裕はなかったのだろうかと思ったりする。しかし,人間はそれほど精神的に強くないのかもしれない。金銭的,肉体的,精神的にギリギリの状況に置かれてしまったときに,事件は起こる。そのギリギリの一歩手前で支えてあげられるのが,コミュニケーションであり,人の知恵であると思う。結果だけを見て相手のせい,他人のせいにするのはたやすい。その前に,深呼吸して,視線を外して,もう一度考える余裕と,3秒先を予測して行動するという余裕を持ちたいものである。3秒先の予測 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 2019/9/5 は,筆者がコロナ禍よりも前に提案した話である。