jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

人はなぜウソをつくのか

人はウソをつきやすい。筆者は小さいころから「ウソつきは泥棒の始まり」と教わってきた。それでも小さいウソはついてきたかもしれない。ただ,すぐに後悔して,「ごめんなさい」と謝って許してもらった。おそらく,その後悔の気持ちを持つのが嫌で,二度とウソはつかないと決めたのだと思う。ウソをつかない方が精神的に圧倒的に健康だからである。

 ウソを1個つくと,そのウソを隠すために別のウソをつかなければならなくなる。これを繰り返すともう元に戻れなくなる。追い詰められると,結局は実力行使をするしかなくなる。

 ウソつきは泥棒だとすると,犯罪である。法廷で偽証すると偽証罪に問われる。別に刑罰があるから犯罪をしてはいけない,というわけではない。そもそも犯罪は犯してはならない。

 しかし,さまざまな事情で犯罪への衝動は起きる。それを抑えるのも,人に与えられた「理性」であり,衝突を避けるための「知恵」である。その人らしい感情とそれを抑える理性のバランスが崩れたときに,犯罪,争い,そして戦争が起こるのだが,そこに絡んでくるのが,やはり「カネ」であり,「独占欲」である。

 筆者は,武道は好きである。中学生のときはクラブ活動で剣道をしたし,高校では1年間だが授業で柔道も習った。自分の身を守るために,空手や合気道もいいと思っている。相手と真正面から向き合い,正々堂々と勝負するからである。相手に基本的にダメージを与えないためのルールと,防具も用意している。スポーツとして楽しむ。これも人の知恵である。

 同じ接近戦でも,ボクシングは話が違う。相手にダメージを与え,倒すことに主眼が置かれる。ポイントを取るというより,相手を倒さなければ自分が倒される,という真剣勝負である。スポーツの域を越えているように思う。

 飛び道具を使う場合,相手は的になり,決して競技者同士が向かい合うことはない。競技になるにしても,雪合戦のように当たっても安全な道具か,ペイントガンのようにダメージがない道具が使われる。それでも,目に当たらないようにゴーグルを着用する必要がある。

 相手に向かって飛び道具を使うことは,すなわち犯罪であり,戦争である。軍隊同士であれば,防御システムを構築できるが,相手が一般人の場合は,戦争犯罪と言わざるをえない。

 他の生き物の場合,擬態という方法で相手から隠れて待ち伏せしたり,難を逃れたりするように進化したと言われている。ヒトは唯一,自らを迷彩色などで覆って隠れて待ち伏せし,相手を攻撃したり隠れたりする。それでも飛び道具は,一網打尽に破壊する。いかなる争いも正当化されるべきではない。

 ここにさらに,偽旗作戦と呼ばれるニセ攻撃が行われるようになっている。すでに,無国籍の爆撃機による爆撃や,敵からの攻撃と思わせるために味方側を攻撃するなども行われている。ウソにウソの上塗りをしているのではないかと思われる。

 情報戦でも,フェイクニュースが飛び交っているし,ロシア国内では大本営発表しか放送されていない。どこまでウソをつき続けるのだろうか。

 人は,追い込まれるとウソを言う傾向があると思われる。後戻りもできなくなる。相手を殲滅してウソを正当化するしかないが,その代償はあまりにも大きい。ウソにウソを重ねて,戦争の引き延ばしを図っている,ともいわれる。自分たちを正当化するウソをウソと思わない教育--これが外務大臣の責務だというコメントに恐怖心すら覚える - jeyseni's diary (hatenablog.com)。洗脳教育の恐ろしさを覚える。