投票したい候補者がいない選挙は初めてかも--政党推薦を受けた段階で既に論外に - jeyseni's diary (2024/10/20)と書いた。政党対決の構図で候補を選べなかったからである。
一方,選挙区によっては野党による候補者1本化を進め,与党候補との一騎打ちに持ち込む形になったところもある。これは,「アンチ与党」「打倒与党」が鮮明で,1本化候補が魅力的であれば成功する作戦だと思われる。しかし,その候補が最終的にどの政党に属するのか,つまり政党のカラーを帯びていれば,「アンチその政党」の有権者は投票しない。結果,投票率が下がる。投票率が下がって有利なのは,与党候補である。支援者がすでに固まっているからである。
アメリカでもイギリスでも2大政党制で,一方の政党の政策が行き詰まるともう一方の政党が交代する。右と左を行き来する。お互いに逆方向の政策を持っており,それぞれが正しい。しかし日本は1大政党+小野党群という構成で,1野党が与党と同じ勢力になるか,全野党が連合するしかない。しかし,政権与党の中でも複数の意見の異なる派閥がある。今回の裏金問題で派閥が解体し,総裁選挙で分裂し,その後の組閣でさらに意見が対立した。かつて政権与党から新政党が分離独立した。今回は,政権与党が辛くも勝利した後に,複数の政治家が離党して新政党を作るのではないかと考える。野党連合政権は次回の解散時に成り立つような流れと見た。
もともとがそれぞれ個人の意見を持って政治家になった人たちである。政党に属しているのは組織としての居心地がいいからである。パーティーという収入の仕組みを作り,そのキックバックを懐に入れる。粗利率の高い商売である。他の政党は,どのような方法で収入を得ようというのだろうか。節約しただけで十分な余裕は生まれない。自治体を運営するのとは訳が異なる。今ならクラファンという手があるので,それでもするのだろうか。
2大政党制で,それぞれが行政を担う政策と人材を育ている。政権を取ればすぐにでも政策運営ができる。日本でそれができるのは,現在の政権与党だけである。現在の野党が連合政権を作ったとしても,行政を担える政策も人材も不在である。とても政権を預ける気にはなれない。
要するに,日本は「ディベート」ができない国民性なのである。お山の大将になることだけが目標で,ライバルを作らせない。勝てば官軍,天下取り,といった精神なのである。これが戦後の自民与党政権を続けさせてきたのではないか。それを支える官僚という組織も,沈黙して何も言わない。しかし,仮に政権が変わっても官僚の既得権益は手放さない。
国民も,第二次世界大戦で敗戦国となり,なんでも平和的に解決し,無難に過ごすことが得,といった気持ちが働くようになり,政治はお山の大将にお任せ,自分たちの生活向上のためにだけ働く,といった風潮で高度経済成長を遂げた。しかし,いまや成長する方向性を失い,露頭に迷っている。
政治も官僚も「日本の進むべき道」を示さないし,示してディベートする相手もいない。海外からの圧力に翻弄され,右往左往している。「国民の生活を守る」って,具体的にどの方向に踏み出すことなのか。身銭を切って還元するなど,まさにお山の大将,桃太郎の団子と同じ考えではないか。消費税をなくして代わりの財源はどうするのか,何も具体的な策を出して議論していない。要するに,魅力ある政策を提案する政党がないのである。
以下のような政党があっていいと思うのである。筆者が以前から言っているモノづくりをもう一度日本の柱にする「モノづくり党」(党首:豊田章夫),教育システムを再建し人づくりを再建する「教育党」(党首:筆者の知るある研究者),エッセンシャルワーカーの社会的地位を上げてITで合理的な福祉を国の売り物にする「福祉党」(党首:皇族系列など),そしてある意味で国の存続危機を真面目に訴える「武装党」(党首に冷静になれる人物がいるかどうか)など。それぞれが「闇の政府」を常に構築し,議論を交し,今の国にとって必要な政策を国民に訴える。
武装党はさすがに極端だが,事と次第によっては,軍事政権も必要になるかもしれない今の世界情勢で,日本には「平和を守れ」「戦争反対」とピーピー言っているしか能がなく,国連という“連合国”側についているだけのリーダーシップのない国になってしまっている。
「出でよ,カリスマ・リーダー」。真の野党一本化を図って,政権与党に対峙してほしい。カリスマ性のない与党になった今,政策を1本化した主張ができるグループになってほしい。次回の選挙に期待したい。