今日の通勤途上、初のフェイスシールド付きキャップをかぶった。話しかけてくる人もなく、少し奇異に思った人は距離を置いてすれ違った。結果としてはソーシャルディスタンシングができたことになる。
少々混んだ感じの場所でも直接相手の息がかからないという安心感はなかなかのものだった。電車で座っても前に立った人の視線をキャップのヒサシが遮ってくれる。もちろん、咳やくしゃみをされても、フェイスシールドとキャップに守られているという安心感は大きい。
道を歩いているときは、風が直接顔に当たることもない。砂ぼこりや花粉も防げる。ちょっと強い風が吹いた時は帽子を手で押さえる必要はあるが、これはどんな帽子でもそうだ。多少、風にあおられる形たが、そこは塩化ビニール製のしなやかさでしのがれる。
そそくさと歩いたのは、物珍しいモノがあると身体が自然に動いて近づいてくるマスコミを警戒したからだ。昔から,「犬が人を噛んでもニュースにはならないが,人が犬を噛んだらニュースになる」と揶揄されるマスコミである。この体質は変わらない。そして,事実だけを伝えるだけならまだしも,事実の裏にある『事情』とやらをあぶり出し,ときには曲解し,捏造してでも,視聴者あるいは広告主の心の闇に訴えるような内容に仕立てて報道するのである。
たとえば,地震が起きた場合,それが震度4の地震であろうが,震度7の地震であろうが,壊れた何かを求めて街中を走り回り,落ちてきた看板や壊れた植木鉢でも何でも構わず,「地震のせい」にして映像と記事を『捏造』する。たぶん,その壊れた何かを見つけたときは,「あった。やった~」と小躍りしている姿が目に浮かぶ。
台風が近づいてくると,予想進路上のもっとも上陸しやすそうなところに中継車を走らせ,レポーターはレインコートを着用してテレビ中継に備える。「木が風で揺れています」「波頭が白くなっています」「先ほどより風が強くなってきました」などなどをレポートするが,映像を見ても普段の雨の日とそれほど変わらない。逆に最も影響が大きい際は,わざわざ雨風の中に立ち,自らが風に煽られたり雨で目が開けられないなどを『演じて』いるようにも見える。
街頭でインタビューするときも,マスコミ側の視点で目をつけた人に近づくのだろう。だれもしていない格好をしていれば,目につくのは当然で,それがマスコミのクセである。インタビューされる側はそれが嫌なので,なるべく目立たない格好をするのが普通だ。したがって,今回のキャップ+フェイスシールドという格好も,みんなで参加してほしい。本当は,キャップ形ではなく,普通のフェイスシールド,あるいは自作のフェイスシールドを着けたいところだが,ここは少しでもオシャレ寄りの格好を提案したいと思っての行動である。手作りのフェイスシールドでも受け入れられるような新しい常識が生まれてもいいと考えている。