jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

差別発言問題というより「理性がない」と診断すべき森喜朗発言

森喜朗オリンピック委員会委員長の女性差別発言が,NHKも含めて連日報道されている。海外のメディアでも取り上げられ,海外のオリンピック委員会でも反論が起きているようだ。

 女性に対する男性の意識については,これまでも何度かこのブログで書いてきた。攻撃体制と防御解除。これでは同等であるはずはなし。 - jeyseni's diary (hatenablog.com) 男性が女性を見る見方は,常に上から目線であり,精神的なマウンティング気質は変わりようがない。若いころは,この感覚の差によって子孫拡大も期待されるので,必要悪であると思っている。

 しかし,その時期を過ぎたら,気持ちを切り替える理性というものが求められる。女性の力を引き出して伸ばし,社会のために活躍してもらうように,サポートするという心の広さが男性には求められる。これがあって初めて,男女が対等となる。それ以前の経験の差を認めて,そこを補ってあげるのが望ましい。

 ところが,男はいつまで経っても自分が上だと思っている。森委員長も「女性は話が長い」と言っているが,そもそも(女性の発言は要らない,女性は会議には要らない)と思っていることが見え見えである。

 ドン(首領)というのがピッタリなのが森委員長である。「俺を辞めされられるなら辞めさせてみろ」とも言っているらしい。菅首相にも解任権はないという。(もっとも,‘’ドン”(don)とは、スペイン語圏、イタリア語圏で使われる言葉で、男性の名前の前につける、単なる「敬称」だそうで,「首領」をドンと読ませたのも日本の映画界のいわば造語らしい。「ゴッドファーザー」で「黒幕」「影の実力者」といった意味合いが日本では定着したそうだ)。それでも,もともと貴族などの偉い人向けの敬称なので「閣下」といった意味合いもある。男性中心社会の遺物でもある。

 結論から言うと,理性がない男性は,女性に対する差別や蔑視,セクシャルハラスメント,DVなどを抑えることはできない。心の中で思っていても,それを外に出さない,それが「理性」というものである。

 それでも,うっかり口が滑ることがないとは言えない。相手によってもその言葉や態度の捉えられ方に差がある。発言が失言だったと認めるかどうかも,判断のしどころである。なんでもかんでも悪いわけではないと考えるのだが,今回の発言は100%失言である。「謝罪会見」に臨む前に,「あれは失言ではありませんよ」と言ったのは,森委員長の周囲の“取り巻き”だけだったろう。ドンの取り巻きだから,黒を白としか言えない。意見をすれば首が飛ぶ。

 自分で「老害」と発言したようだが,その意味を認識していないのではないか。老害を意識しているのなら,立ち去るのが理性だが,それができないのは,理性がないと「診断」するところまで来ている。外から診断してもそれを判断できないのなら,それはもう「認知」不良の段階である。この段階になると,「高齢者の運転免許返納」同様,本人がその重要性を認識することができないのだから,厄介な問題である。

 筆者も,あと半年で前期高齢者の仲間入りをする。高齢者の1/3が認知症になる今日である。高齢者の認知低下は,社会の不幸である。医学・薬学研究者とともに,脳科学者のさらなる活躍を期待したい。「ボケ防止クイズ」ばかり作って儲けている自称脳科学者こそ,ボケているのではないかと思える。

 ほかにも,自分の発言や行動にブレーキを掛けられない男が山のようにいるのではないか。自分の胸に手を当てて考えてほしい。一方,女性の側も,より理性的な発言をするように訓練をするべきではないか。理論武装をし,感情を抑え,理性を感じさせるようなロートーンでの発言を訓練すべきではないか。

 もう一つ,男性に対して言わせてもらうと,もともと軍隊の制服でもあったスーツ,背広,ネクタイを,今すぐにでも脱ぎ捨てることを提案したい。これは「権力」「支配」の象徴である。それと同時に「組織に守られている」という弱みの露呈である。国会議員,会社員,教員,など,所属する組織の一員であることをアピールしており,個人の隠れ蓑になっている。「馬子にも衣裳」である。お笑い芸人であっても,司会を務めるためにスーツを着る。悲しいことである。こういうことをいつまでも続けているから,男尊女卑の風潮が収まらない。吉村洋文大阪府知事が,いつもポロシャツで記者会見をする姿に好感が持てる。次期指導者に,と筆者が推す理由の一つでもある。

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