jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

言い訳はすなわち嘘である

昔の刑事ドラマでは,取調室で執拗な尋問の果てに自供したことで送検され,有力な証拠がなくても自供が決め手となって有罪にするという筋書きが結構あったように思う。現在のドラマでは,自供はあっても証拠物件がない限り,送検はしないように描かれている。自供,自白は裁判では決定打にはならなくなっているからである。

 実社会でも,自白によって有罪が確定したケースで,何十年も後に証拠不十分で無罪になるというケースが多く見られる。もともとが冤罪であったケースもあるが,何十年後に確証となる証拠を出せなくなっているケースもあるのだろう。つまり,過ちや罪を認めても,それで有罪になるわけではない,ということである。

 ところが,政治家や官僚は,平気で言い訳を言う。言い訳をして,その場を繕おうとする。そして,違法行為の証拠が出たところで,病気療養で入院,そして勝手に辞任して,話を葬り去ろうとする。「記憶にない」となぜか胸を張って答える。記憶がないのが事実ならそれはそれでいいが,エリートのくせに記憶がないことを恥じることもしない。そこで決定的な証拠を突き出されると,前言を撤回するまでもなく辞任して,またウヤムヤにしてしまおうとする。

 筆者はこれらの行為を「ずるい」と考える。指摘を受けた段階で,期限を決めて調査することを明言するか,事実ならば認めればいい。否定したあとで証拠を突き付けられて,入院,辞任,というパターンは,もう飽き飽きした。

 事実を認めた上で証拠がないのなら何の問題もないが,事実を否定,あるいは記憶にない,と言う「言い訳」は,結局は「嘘」である。野党などの対抗陣営もバカではないので,裏付け調査は済ませてから攻撃しているのではないのか。ただ,週刊誌の記事を

取り上げて追及の手段として使うなどというのは,全く持って笑止千万である。

 事実があるのなら,当事者はあっさり認めるべきである。その後に証拠が出てくれば,身を引けばいいだけのことである。それが事実だからである。

 しかし,否定する,あるいは記憶がないとするのは,それは事実を曲げて言い訳,あるいは言い逃れをしようとしているとしか,国民には見えない。

 会食したのなら,会食したと言えばいい。そこで不適切な支払いがあったことも事実なら認めるべきではないのか。そこで言い訳することは,つまり嘘をついていることになる。嘘は必ずバレる。しかし,虚偽をしなければ,犯罪行為などの審議ですすはずなのだが,虚偽の発言をしたために,結局墓穴を掘り,退陣に追い込まれる。

 誰も見ていないから,ちょっと悪いことをする。これは日本人特有の悪癖である。信号無視,タバコやゴミのポイ捨て,悪いこととわかってしている場合は,タチが悪い。責任を他人や周囲の物事に転嫁してしまう。

 山田真貴子・元内閣広報官も,菅首相の息子と知らずに会食していたと言い訳した。小池百合子東京都知事も,3県知事との意見調整で先走ったことを事務方の話と言い訳した。よりによって,活躍してほしいと言われている女性による虚偽発言である。森喜朗・元オリンピック組織委員会会長の女性蔑視発言から一気に男女平等化が動き出したというタイミングで,しくじってほしくなかった。男はこういう場合,開き直る。女性はこういう場合,笑みを浮かべ,「私,女なので許して」的なアピールに見えないとも限らない。だから・・・,という見方をされてしまう。もったいないことである。

 すなおに認める。謝罪する。そのうえで,責任の取り方についてもはっきり述べる。そうすれば,これまでの実績に鑑みて,もう一度チャンスを与えてもいい,とみんな思うものである。バレるような言い訳をするから,追い込まれ,辞任せざるを得なくなる。人間である以上,失敗もする。勘違いもある。でも,事実ならば認めて出直しを図る方が潔い。