jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

すべてのコメンテーターは,ただ“批判する人”

コメンテーターや評論家は,すべて後出しジャンケンである。言ってはいけないと言いながら「たら・れば」で批判する。

 野球の解説者が,いちばんいい加減だと思う。「ここのところずっと調子悪いですからねぇ」と言っておきながら,その選手がヒットを打つと「ようやく調子が戻ったようですねぇ」と,コメントする。

 この1年は,新型コロナウイルスに対するワイドショーやWeb記事のコメントが,同じように後出しジャンケンで,かならず批判する。事前に予測をすることも,別案を提案することもしていない。

 ノストラダムスの大予言はこじつけである。いかようにも解釈できる文章なのだと思う。

 「遅い」という前に具体的な策を提案している例はまずない。もっとも,コメントを求めるワイドショーのMCやメディアが「あなたはどうすればいいと思いますか」というのを事前に聞いていないのも問題である。

 仮に聞いていたとしても,なぜかそれが表に出ることはない。わざと書いていないのか,書かないように言われているのか,不明である。

 筆者は常に,具体的な提案をしている。それが筆者がブログを記す理由である。筆者は批判しない。これが当たり前だと思っている。

 後出しジャンケンなら誰でも勝てる。「コロナ戦争敗戦国」だの「禁酒法がやってきた」だの,かつてのトップランナーたちのコメントとは思えない。こういう人たちにコメントを求めるメディアも地に落ちたと言えそうである。