「貯蓄から投資へ」と岸田政権は呼び掛けている。つまり、国力を上げられないので給料は増やせる改革ができないというお手上げ宣言である。
しかし、本来の意味の投資は、成長することを応援するために資金を提供し、成長したらそのお礼としての利益還元をしてもらう、ということのはずである。その会社や個人の夢を応援することである。
ところが、国が推奨するのは、Nisaなどのファンドである。この投資は、どこにお金が行くのかは分からない。おそらく、金融機関が設定した投資先に回るのだが、そこがどんなビジネス計画なのかは不明である。当然、リターンも不明なのだが、利益に税金をかけないというオマケで購入の勧誘をする。
一方、世の中では、FXを中心に為替差益を狙った投資話がほとんどである。しかし、為替や平均株価による投資は、ギャンブルである。上がるか下がるかだけを「予測」するだけで、世の中に対してどのような貢献があるのかなど関係ない。
適切な投資をするのは,十分な元手があることが前提だと筆者は考える。ここでいう「元手」とは,収入や貯蓄などのお金のことだけではない。個人で言えば,住む場所も1つの元手である。土地が大量にある国では,仮に収入がなくても,勝手に住む場所を確保できれば,そこで生き続けることができる。自給自足生活さえできれば,収入は不要だからである。一文無しになっても生きていける。国で言えば,土地ももちろんだが,資源が1つの元手である。掘れば売れるものが出てくる国は,一方で確実な設備投資をし,一方で半分ギャンブルの投資をすることができる。
アメリカは,土地も資源も持っている。中国も,オーストラリアも,カナダもそうである。どこでも生きて行ける。日本は,土地も資源もない。個人が持っている家や貯金は,生活のために必要であり,それがなくなったら生きていくことができない。勝手に住む場所を選ぶことは犯罪になる。
アメリカで投資に失敗しても,隠れて住む場所がある。そこで再起の機会を狙うだけの余裕もある。一方,日本で投資に失敗したら,行き場がない。生活ができない。生きて行けない状況になるか,高利のカネに手を付けて,一発逆転を狙い,さらに泥沼にはまっていくしかない。
政府が投資を推奨するのなら,投資で失敗した人を救済できる場も用意してほしい。たとえば,政府監修の就業の場を用意し,復帰までの支援をすることである。
金利0だから,貯蓄をやめて投資に回せ,というのはあまりにも暴論のように思える。国が立ち直るために必要な産業(実業)は何か,そこにはどういう人材が必要か,そしてそのための投資をしてもらうためにはどうすればいいか,すべて政府の考え次第である。
やれ,国防費を倍にするだの,子育て支援に4億を計上するだの,といった行き当たりばったりの政策ばかりでは,10年後に日本は存在しない。防衛費を計上するなら,防衛を含む武器を買ったり軍事産業を育てることよりも,地下シェルターを国民全員分,2年以内に作って配備するといった考えの方が国民を守ることができるのではないか。子育て支援よりも,産業育成と賃金向上を先に提案し,虚業人口を実業人口に回す政策が必要なのではないか。今,子供に投資する気持ちになれないのは,日本全体がダメになっているからではないか。その分を,ギャンブルで個人で稼げ,というのは,国としての考えを捨てたことと同じと筆者には思えるのである。まず,産業育成,そして人材育成で世界貢献するとともに,消極的ながら核シェルターの大規模整備が求められるのではないかと,真剣に思ってしまう。