jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

パーティーそのものがおかしいのではないか--政治資金は結局は見返りに期待する投資で成り立っている

以前,ドラマ「相棒」の中で政治家のパーティーの様子が描かれていた。主人公にとって,参加者の人数や会費に対して食事の内容や量がかなりお粗末に見えた。そのことを尋ねると,「経費は抑えなければ儲けは増えない」といった趣旨の政治家の答えだった。政治家のパーティーは,要は金儲けなのだと思った。

 パーティーの参加にかこつけて,政治家との関係を深め,便宜を図ってもらったり,供用を受けたりする業者もいるだろう。見返りのための投資だと思えば,ほとんど食べられもしないパーティーでも参加の意義がある。別に直接の利益のない支援者や後援会も,結局は「おこぼれちょうだい」のコバンザメ体質なのだろう。政治の世界は,こうした構造になっているのだと思っている。

 それがわかった上で,ノルマよりも多くチケットを販売できた政治家は,ノルマを超えた分を分け前としてキックバックを受け,これを収支報告書に記載せずに自分のポケットに入れていたという。明らかに裏金だが,これが関連団体の間で普通に行われていたことが今回明るみに出た。

 カネのためなら,悪どいパーティー開催を行い,怪しげな団体や宗教団体とも付き合い,中にはかつて反社とも関係があった人物もいたに違いない。

 きれいごとでは政治家は務まらないとよく言われる。一度その味をしめてしまうと,もう抜け出せないのだろう。カネを動かせる権力を握っている政権与党の政治家に群がる有象無象のカネの亡者によって,金銭感覚も麻痺してしまうのだろう。

 「清濁併せ飲む」のが政治家,「清貧」は仲間から嫌われ,蹴落とされる。パーティーを2024年は自粛する,といった2つの派閥も,2025年にはまた再開するのだろう。

 筆者の職場の近くには,いわゆる政治家のための会合が行われる飲食店がいくつかある。普段は歩行者しか通らないような細い路地の道路に,黒塗りで窓がスモークの高級車が我が物顔で入ってくる。ああ,また政治家の談合かな,といつも思ったりする。都内には,そうした政治家御用達の店があちこちにある。庶民感覚とはかけ離れた食事が振る舞われる。そこでの会話は絶対秘密だし,それに見合った支払いが行われる。

 そんなどろどろした社会をサポートする仕事って楽しいのかな,と思ったりする。

 まあ,筆者は「清貧」であり,汗水流してコツコツと働いてきた。経済の停滞とともに,仕事の相手先がなくなり,会社を辞めた。再就職先は,さらにマーケットの小さい会社で,給料は1/3に激減した。それでも,自分のアイディアを通し,それを受け止める変な(ユニークな)社長がいたおかげで,比較的楽しく仕事は続けられている。今年はとうとう,貯金ゼロ付近の低空飛行をすることになったが,何とか健康にだけは気をつけて,出費を抑えるしかないと思っている。

 以前も書いたが,中学生の卒業アルバムには「政治家になりたい」と書いた。日本をもっと良くしたいと思ったからである。しかし,政権与党では組織の言いなりだし,野党はまったく政策論争ができない。特に現在の不穏の時期に,まともな政策を誰も出さず,カネのバラマキでいい顔をし,そして裏では裏金を貯め込むという,小粒な政治家ばかりである。まあ,カネ集めの専門職であり,専門職にありがちな悪事を働くという意味では,国民のための政治をしてくれるという希望は持てない。

 ここまで政治の腐敗が進んで来ると,世界を相手にケンカをしてまで国内を活性化させようとしてある意味で成功したトランプ前アメリカ大統領や,高齢にあってなお世界の秩序を守る固い意志を持っていると思われるバイデン大統領など,主義主張を持ったリーダーがいる国の方がまだマシかなとも思えてくる。軍隊を維持することで産業を活性化し,働き口を作り,外貨も稼ぐ。結局はそういうドロドロした世界で経済が活性化するのは,許されるものではないと思いつつ,仕方のないことなのかもしれない。

 それよりも,外貨を稼げる産業を育成し,食糧安全保障のための農業・水産業の新しい取り組みに力を入れ,水素エネルギーを輸出できるまで規模拡大するという政策に早く切り替えるべきだろう。産業がなければ,若者の働き先がなく,定収入の得られない若者が結婚することも子育てをすることもできなくなる。そして教育も疲弊してくるし,人材も育たず,何の開発もできない国になってしまうだろう。まず産業起こしである。減税や手当てのバラマキは,そのあとでないと,そもそも原資がないから国債を発行して次の世代に借金を回すという,酷い話になってしまうのである。