jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

安倍元首相の葬儀をどうするのかを,吉田茂の先例に従うのではなく,国会で国民の総意かどうかを議論すべき

凶弾に倒れた安倍晋三元首相の葬儀について,国葬にすることの是非が問われている。「国の行事として開催するなら,国会で審議し,決定に従って政府が執り行えばいい」という議論を聞いて,筆者としてはこれがまともな考えかな,と思った。国費つまり税金を使うのだから,きちんと予算審議を経た方がいいかなと思うからである。

 国葬にすべきではないという意見も多い。野党を中心に反対意見が多い。世論調査では,半数以上の人が反対と意見している。議論をした上で決議しても,政府自民党側が賛成多数で可決するのだから,正々堂々と議論すればいいと思うのである。

 国葬というのは,国の元首の葬儀である。日本の場合は,天皇崩御の際には行われる「大喪の儀」である。皇后を含む天皇家の葬儀の場合は,大喪の儀にならないことも多い。

 諸外国の場合は,大統領は国家元首なので,国葬が行われる。一方,日本の総理大臣は国家元首ではないので,本来ならば国葬の対象にはならない。唯一,吉田茂の葬儀は国葬で執り行われた。

 Wikipediaの記述によると,吉田茂国葬は「内閣による閣議決定」で国葬とされたとある。ある意味,今回の安倍元首相の葬儀は,岸田文雄内閣が閣議決定したのと,同じ流れである。

 吉田茂の場合は,閣議決定について異論がほとんど無かったということではないか。戦争を終結し,自由主義国家の基礎を築いた功労者として認められた。

一方,安倍晋三の場合は,戦後最長の政権を続けたということ以外には,日本の歴史にとって評価される項目がない。逆に,森友学園問題,加計学園問題,そして「桜を見る会」を巡る問題などの汚点を残し,2021年の東京オリンピック2020を誘致はしたが,新型コロナウイルスの大流行の途中で持病の悪化を理由に政権を放棄した。アベノミクスで経済立て直しを図ったが成果は微妙で,アベノマスクでも税金の私物化の疑惑が持たれている。成果どころか,汚点が目立つ首相という評価が高い。

 吉田茂のときと同様に,内閣の閣議決定で決めたまではいいが,その後の世の中の意見から考えれば,やはり国会で議論して,国民の総意になる形を選ぶべきではないのか。

 残念ながら,安倍元首相の暗殺により,自民党と旧統一教会との密接な関係が明らかになった。安倍晋三どころか,岸信介の時代から関連があるので,安倍晋三の葬儀を国葬にするというのも旧統一教会の操作があったのではないかとの疑問が残る。内閣=自民党=清和会という流れで,安倍晋三国葬が自動的に決められ,そこに旧統一教会の働きもあったのではないかと疑わざるを得ない。清和会に対する忖度だけではないような気がする。

 日本の首相は国家元首ではない。吉田茂国葬は,特殊事情である。安倍晋三の死に対して各国から弔意は寄せられているが,各国の大統領=元首の参加が非常に限定的で,カナダのトルドー首相のみになっている。国葬にしているのだが,ウクライナ紛争の最中で,葬儀出席の優先順位が低い。岸田首相は,葬儀外交ができると考えて国葬にすることを目指したようだが,アテが外れた形ではないだろうか。

 ならば,国葬で強行せず,国会論議を経た上で,自民党葬にするなど,修正を加えてもいいのではないだろうか。「周囲の声を聞く」という姿勢が,頑なに自己否定しているような気がする。ここで柔軟な態度を取ることは,国民の信頼をもう一度得られる道であると確信する。