jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

阪神淡路大震災から28年--記憶は風化するが,より効率的な土地利用への発想転換を提案

1995/1/17 5:46に阪神を襲った震災から28年が過ぎた。筆者は川崎市のマンションに住んでいて,朝7時のニュースで阪神高速道路が横倒しになっている映像を見て慌てた。実家のエリアだったからである。電話をしてみたが,実家とも兄夫婦の家ともつながらなかった。9時に近くのレンタカー店で1台のクルマを借り,家にあった最低限のものを載せて東名高速を走らせた。途中のサービスエリアで停まりながら公衆電話で連絡を取ったがつながらなかった。富士川サービスエリアに来たとき,ようやく兄夫婦の家につながった。「今来てもクルマは入れないから来るな」と言われた。両親も兄夫婦も無事だった。

 現地入りしたのは10日後。実家の最寄り駅から2つ手前の駅までは電車が動いた。そこから徒歩で1時間かけて実家にたどり着いた。途中,自衛隊からブルーシートを分けてもらったが,リュックサックとカートがすでに重く,おまけに雨も降ってきていた。国道沿いに歩いたが,歩道は亀裂が入り,盛り上がっていて,カートを引っ張りにくかった。陸橋の柱の鉄筋コンクリートが見事につぶれていた。

 実家は倒壊は免れたが,中は想像以上にモノが飛散していた。冷蔵庫が倒れたりしていたという。眼の前にあった2階建てのアパートは1階が潰れていた。父はそこから数人を助け出したという。いち早く,石油ストーブをつけてお湯を沸かし,近隣の方に振る舞ったとも聞いた。隣のブロックにあった15階建てのマンションも傾いていた。後日,崩れたという。

 筆者自身は被害を受けたわけではないが,記憶はそれなりに鮮明に残っている。その後,2011/3/11の東日本大震災は埼玉県内の自宅で経験した。たまたま揺れの小さい地域だったことが幸いしている。

 阪神地区はすっかり復興した。福島地域と違って原発事故がなかった分,リセットが容易だったと思われる。打撃を受けたのが住宅地と商業地であり,地元の産業の被害は一部の酒造会社程度だった。一方福島地域は,原発放射線と,津波による塩害によって,リセットが進みにくい状況にあり,しかも農業,水産業,観光業という地場産業が大打撃を受けたことが,問題点として残っているといえよう。

 阪神淡路大震災の教訓は,普段からの非常用常備品の準備が欠かせないことである。家の耐震設計基準も見直されたが,津波や山崩れには歯が立たない。倒壊を免れることで「命を守る」ことはできても,中途半端に被害を受けることで地震保険や被災保証の対象から外されてしまう不具合も生じている。被災しているのに,保証が受けられない可能性も出ているのである。

 まして,ウクライナ戦争で明らかになってきた現代の兵器の破壊力の凄まじさは,極東地域にある日本にとっていつ打ち込まれてもおかしくない世界情勢にある。どこまで頑丈に家を作っても,最大級の台風や竜巻,最大級の地震や山火事,最大級の津波や火山爆発など,かつて100年に1回と言われていた大災害が数十年に1回という高頻度で起きている現実や,1発で広島原爆の4000倍もの威力を持つICBMが飛んでこない保証がない現実においては,まったくと言っていいほど無力な状況にある。

 たまたま今朝,長年使っていたフォトフレームが突然映らなくなった。モノの劣化は確実に進み,あるとき突然,機能しなくなる。前兆をつかめる可能性はあったとしても,そのときが来ればほぼ何の対応もできない。修理できる可能性はあるものの,すでに部品の保管期限が過ぎていたり,また設計者・修理者などの技術継承もされていない可能性も大きい。結局はただゴミになるだけである。

 家を含むインフラも,50年経てば劣化し,当初の性能を維持することはほぼ困難である。いくらお金をかけて作っても,結局は壊れて価値がゼロになる。公共インフラは,メンテナンスも含めた設計と運用が必要であり,ただ単純に平原に舗装した道路を敷いたアメリカと違って,基礎から立体構造まで作った日本の高速道路が,結局は無料になることは永遠にないことも明らかだろう。

 本ブログを書きながら,阪神淡路大震災の教訓は何だろうかと考えているのだが,高齢化,少子化が進む中で,土地の有効利用を再検討することが,現実的なように思えている。

 まず,食料の自給態勢を進めるために,農業・水産養殖生産工場を作ることである。弱いビニールハウスではなく,自然環境に影響を受けずに食料を作れる施設を,公共インフラとして整備すべきだろう。これは農林水産省が進めるべき事業である。国土交通省が高速道路を建設するのと同様,農水省が国の予算で進める必要がある。

 次に,エネルギーの自給態勢を進めるために,水素発電のインフラ整備が必要である。これは経産省エネルギー庁の公共事業である。

 いずれも,両省庁が音頭を取り,かつての建設省である国土交通省を引き連れて,インフラ建設とその維持のためのメンテナンスを進める必要があると考える。

 今や,超高層マンションは無用の長物である。何がうれしくて今,集合住宅を作る必要があるのだろうか。50年後には老朽化し,解体するしか方法がない。高度成長期のように人口が増え続けて都心に集中するときには必要だったが,今,そのニーズは中国の投資(いや投機)のためでしかない。また,建設業界が一時的に潤う構図を作っているだけである。おそらく,一度も住まわれないままで数十年経過して解体ということになるのではないか。地震や洪水で電力がなくなれば,上層階への移動手段も,水の供給手段もなくなることは明白である。

 それよりも,現在各地で放置されている空き家・空き地を計画的に接収し,個人に低価格で供与し,低コストの低床の家を提供する政策を進めてはどうだろうか。

 日本が,モノづくり産業を放棄した場合,外貨獲得の道はない。諸外国のように,軍事産業を放棄しているのなら,海外との交流を断って自給自足を目指すしかない。行動成長期における家電製品と自動車という2大産業に代わって輸出できる産業は,環境に影響されずに効率よく生産する農業工場や陸上養殖工場,そして日本が自前で調達できる水素エネルギーしかない。この新しい産業を10年で立ち上げる必要があると筆者は考えているが,おそらくそれもできないとすれば,国民の労働意欲は高まらず,収入が低いことによって結婚して家庭を持つという夢も持てず,少子化はさらに進む。ならば,国民の最大の負担になっている住宅環境を低価格で提供することが望まれる。ただ,狭い土地を提供すれば,2階建て以上の家を作らなければならず,おのずと非効率的で高コストな家しか作れず,単に建築業界を潤すだけに終わってしまう。

 まずすべての家庭に,現在の公庫融資の対象となっている100㎡(33坪)の2.5倍の250㎡(75坪)の土地を無償で供与する。無償供与の条件として,建屋は平屋建てとし,延床面積は100㎡とする。20畳のリビングに6畳間が5個できる計算になる。子供3人を育てるのに十分な広さがある。

 平屋のメリットとして,建設コストがかからないことと,地震に強くなることである。また屋根面積が広い分,軽量で大面積の素材を使用でき,メンテナンスが容易となる。広い面積を使って,希望者は太陽電池パネルを多く設置でき,エネルギーの自給も促進できる。2022年に東京都が義務化した新築住宅への太陽電池パネル設置は,効率も悪く,業者および中国企業を潤すだけのまったくナンセンスな政策である。

 さらに,部屋を規格ボックスとして量産することで,低コスト化も図れる。必要な強度を持たせることで,安全にもつながる。海外材料を購入し,国民に高く売りつけて暴利を貪ってきた建設・建築業界にメスを入れることもできる。

 日本は狭い,と思われているが,土地の使い方が下手なのではないか。人口増加が停まり,一方で超高層タワーマンションの建設,一方で空き家の増加。天候に左右され,収穫物を害獣や害人に盗まれる農業。領海にまで侵入を許して違法操業される水産業。3K(汚い,臭い,危険)で労働者が集まらず生産性も上げられない製造業。これらすべてのチグハグをなくす政策を提案できないものだろうか。

 結局,被害者,当事者だけはいつまでも心に傷を負ったままとなり,せめてもの補償を求めて裁判に訴えるが,社会性のない裁判所と当事者ではない裁判官・陪審員による無味乾燥な議論と判決が繰り返されるだけとなっている。せめて,少しでも広い家で心にゆとりを持てるような環境を提供してもらいたい。いつまでも「ウサギ小屋」では,発想が拡大しない。