jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

“ちぎゃーよ”の方が音感が近いかも--「ちげーよ」に異論(個人の思いつき)

「違うよ」というところを,若い人は「ちげーよ」という。年寄りの筆者にとっては,何とも嫌な響きの言葉である。間違った使い方だと思っている。

 「すごい」という言葉を関東ベランメーだと「すげー」になるのがパターンである。「はやい」が「はいぇー」,「たかい」が「たけー」となる。形容詞がベランメー活用によって変化するのである。

 ところが「ちがう」は動詞である。最も標準的な五段活用をする。形容詞のように「ちがい」としてみたら,これは名詞であり,形容詞ではない。したがって「ちげー」になるはずはないのである。

 ところが近年の言語学者は,これを正しい用法だと言うようになっている。「ちがい」を形容詞だと言うのである。だから「ちげー」は正しいと言っている。

 この言い方が始まったのも1980年ぐらいだという。現在の人にとっては50年近く前のことであり,生まれたときにはすでに周りで普通に使われていたので違和感がないのかもしれない。筆者は社会人になった年なので,この言葉の響きが気持ち悪い。絶対に認めたくない。

 「ちがう」から発展させるなら,「ちがーよ」あるいは「ちぎゃーよ」の方が「が」の音が残っているので納得できるかもしれない。名古屋なまりで「エビフライ」が「エビフリャー」になるのと共通点がある。ア行の音が残っているところがポイントである。もちろん筆者はエビフライとしか言わない。

 言葉はどんどん進化し,消えていくものもあれば残っていくものもある。テレビのバラエティーで連呼するものだから,完全に市民権を得てしまった「やばい」も,元は警察の隠語だったという。したがって,元の意味は「まずい」というネガティブなはずなのだが,若者の間では「とてもいい」という逆の意味でも使われるようになっている。筆者もなるべく「まずい」という言い方をするように気を付けているが,たまに口が滑って「やばい」が出てしまうほど,日常化してしまった。海外の人や女性がこの言葉を使うと, やはり抵抗がある。なるべく使わないに越したことはないと思っている。

 かつて先輩に文章指導された際,「濁音は響きが汚いから,なるべく別の言い方をするように」と言われた。2つの文を「~だが,」と安易につなぐことを極力否定されたのである。多くの新語に濁音が含まれていることにも抵抗を感じるゆえんである。

 もう1つ気になるのが「ら」抜き言葉である。筆者としては「見られる」「来られる」など,「ら」音が入った言葉が正しいと思える。

 この一線は譲りたくないと思って,あえて書くことにした。古いと言われようが,慣れた使い方の方が心地よいからである。