jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

倫理意識が欠如したAI(“Artificial Imitation”)とHumanoidロボットの開発者--バイオ並みの神冒涜行為

動画生成AI「Sora 2」に“Pro”登場 15秒まで延長 ChatGPT Proユーザー向け - ITmedia AI+ (2025/10/3)というニュースが,衝撃を広げている。プロンプトだけでジブリ風のキャラクターのアニメなどが生成される能力を持った。実際の声優の声に模した音声も生成できている。

 AIは「人工知能」なのだが,人真似をするのなら,「知能」ではなく「模写」である。つまり,Artificial Inteligenceではなく,「Artificial Imitation」である。個人および個人の著作物を,学習した中からすべて外すか,「そこに独創性が認めなければ出力しない」というルールを加える必要がある。模倣や模写は,人間社会では基本的に「犯罪」にあたるからである。

 同様に,人型ロボット(Humanoid robot)にも,「相手を傷つけない」というルールがあるはずで,これは物理的に傷つける以外に,「精神的に傷つける」つまり恐怖を与えたり,PTSD心的外傷後ストレス障害)を与えるような行動,姿をすること自体も,規制すべきである。ここ数年で急速に能力を向上して,不整地の2足歩行どころか,バランスを崩されても倒れない,倒れても苦も無く起き上がるなど,不死身の能力を身に着けるようになってきた。これに武器を搭載しようと考えない人間がどこにいるだろうか。単に爆弾を搭載して自爆攻撃に使われる使い捨てドローンと同様,戦いに使われるのも時間の問題(いや,実戦仕様にすでになっている)である。

 21世紀に入ってバイオテクノロジーが急速に発展し,それがクローン人間や人工生命を生み出せる段階まで到達した。これを神への冒涜だとして,世界中の科学者が議論し,倫理規約を作成したものの,一部の研究者および支配者の下でおそらく研究・開発は進行しているだろう。生成AIとヒューマノイドロボットについても,もはや神を冒涜する領域に差し掛かっている。

 なぜ,こうした先端領域の研究者・開発者には,ブレーキが効かないのだろうか。まるでブレーキのないアクセルだけのクルマを走らせているように見える。誰かがガソリンのようなエネルギー(カネ)を供給し,誰かあるいは本人がまっすぐな道を作る(あるいは物理的な道ではなくバーチャル空間かもしれない)。もはや周りなど見えないのかもしれない。

 2001年に作られたアメリカのSF映画A.I.』は,ヒューマンストーリーとして描かれた。人型ロボットがずらっと並んだ場面は恐怖を覚えた。それらが今,現実の世界で進行している。知恵は生成AIが,動きは人型ロボットが,そして生命は人工生命がそれぞれ人間に取って変わる,あるいは対抗勢力となるのかもしれない。表社会と裏社会がひっくり返るシンギュラリティー特異点)も近づいているような気がする。いったん転覆した船は元には戻らない。その選択を食い止める手段はあるのだろうか。

 Open AIによる生成AI「ChatGPT」の発表以来,猫も杓子も同じような生成AIしか作ろうとしていない。単なる「真似っこ」である。そこにインテリジェンスのかけらも見受けられない。個人情報や著作権まで侵害してでも,相手の前に出ようとするだけである。「理性のあるAI」を作ろうという倫理意識がまったく感じられない。おそらく世界経済も破綻することになるのではないかと危惧している。

 この問題にも,提案を出せない自分が嘆かわしい。