21世紀に入ったところで、情報のビッグバンがあった。情報を受け取るハードウエアがそれまでのパソコンからケータイに代わり、情報を受けられる場所が固定から移動に代わった。さらに情報発信者がマスコミから「誰でも」に代わった。情報の発信方法も、文字や声から動画に変わった。
情報量は恐らく100万倍を越えているだろう。通信容量とメモリーの容量がそれを物語っている。
さて、動画とモバイル、そして「誰でも」を利用して情報量のトップに躍り出たのが、YouTube に代表される動画投稿サイトである。文字で解説すると3分かかる内容を15秒で伝えられる。しかもある意味で文字よりも正確である。世の中のありとあらゆる場面が投稿され、蓄積される。
動画は強力である。無条件に心理操作される。かつてのテレビ、現在のゲームがそれだ。昔から「テレビは1時間」と決められたお陰で、心を乗っとられることなく大人になれた。テレビが居間に1台しかないものだったためでもある。しかし今や、テレビもゲームも持ち歩けるようになり、いつでも、どこでも、好きなだけ続けることができるようになった。
そこで、この環境を無意識のうちに受け入れてしまったのが現代人である。何の抵抗もなく、何の疑問もなく、受け入れたのである。
先に書いた周囲への無感覚はもちろんこの環境で倍加される。そして情報に踊らせられる。これまではマスコミという一応考え方の筋を通した情報から、まったくの無方向の情報に変わっていることに気づかない。
ブラウザはさらにあなたの好みの情報に絞るように設計されており、自分のみたい情報視か出てこないようになっている。
もしこの記事が目に留まったあなたなら、一度、スマホから視線を外し、イヤホンを外し、そして電源を切ってみることを試してほしい。あなたの周りは何が起きているのかを認識してほしい。
「あえて情報を断ち切る」ことが、自分を取り戻す方法の一つである。その勇気を持ってほしい。