jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

災害の中継はしても手出し(助け)はしないマスコミ(追記メッセージあり)

2020/12/16から続いた関越自動車道の立ち往生は,丸2日間,区間にして60km,最大2100台に及んだ。脱出には30時間かかった。

 最初に立ち往生している状況は,止まっている車の運転者からの動画投稿である。災害時の「スクープ映像」は,まず当事者から寄せられる時代になった。昔は,ビデオカメラで撮影しても,マスコミに送れるのは自宅に戻ってからだったが,今はケータイで撮影した動画を即座に投稿できる。火事や交通事故などの発生直後の状況が,その動画から分析することもできるだろう。

 翌日,まだ関越上で立ち往生している自動車列を,テレビ局が関越道以外のポイントから中継した。ここでもう何時間も動かないとか,水や食料がない,などのレポートをしていた。運転手に直接インタビューする局もある。さて,災害時のレポートというといつも思うのだが,この映像がどのように役に立つのだろうか,と考える。

 台風の場合は,これから接近して被害が出る可能性があるタイミングの中継は,どの程度の風雨の可能性なのかを知る手がかりになる。昔は,大雨大風の中にレポーターが立ち,吹き飛ばされそうになりながらレポートするというのがお決まりだったが,最近はクルマや建物の中からの中継が多い。

 今回の大雪による立ち往生の中継は,動かない車列からの距離は30mぐらい。ビデオカメラで撮影はできるが,現場に近づくことはできない,といった距離である。

 この距離は,助けにも行けない微妙な距離である。マスコミは,最前線までは近づくが,決して手出しはしない。もともとレポートするだけで,決して助けはしないのがマスコミである。もちろん,助けることが仕事ではなく,情報をレポートするのが仕事だから,そこで下手に手出しをしたことが原因で被害を出したり,被害者を増やしたりすると,責任問題になる,という理由でおそらく救助活動には手を出さない,というのが原則なのだろう。

 では,警察や消防が救助に失敗しても責任問題にならないのか,というとそういうわけではない。被害者側の感じ方は微妙なのである。

 一方,ボランティアによる救助はどうだろうか。仮に投げられたロープが切れても,それは仕方がない,と被害者側も思うのではないか。それよりも,ロープを投げてくれたことにただ感謝するのではないか。

 マスコミの報道でも,あるいは街なかでの事故でも,最近は無差別にスマホで映像を撮影して投稿する場面が多く見られる。マスコミ報道の場合は,プライバシーへの配慮はされることが多く,ボカシが入ったりするが,一般の人の投稿はまったく無配慮である。それでも,映像を撮る間は,救助をするわけにはいかない。場合によっては目の前で被害が拡大し,見殺しにすることもあり得る。

 マスコミ報道の場合,現場に来てからレポートするまでにまず報道の準備をし,レポート時間は2〜3分だろう。その後は,次の報道まで1時間は基本的にそこに待機するだけなので,30分ぐらいは「空き時間」「待機時間」があるのではないか。その場合,その空き時間に救援物資を配布したりできるのではないかといつも思ったりしている。これはいわば「ボランティア活動」であるが,マスコミには一般的にそういう姿勢が全く見受けられない。

 報道用のクルマは,災害地にも入れるように四輪駆動や非常用燃料,そして報道者用の非常食や水,調理器具などを積んでいると思われる。撮影機材に中継機材の量も相当なものがあるだろう。しかし,たとえば50人分ぐらいの非常食や水ぐらいは積載できるのではないか。それを「空き時間」に配布しても,バチは当たらないのではないか。

 今回は,中継場所からクルマが立ち往生している場所までの移動は難しい。そこで活躍が期待されるのがドローンではないか。

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中継場所から立ち往生の間の30mを,何往復をしてもいいので,1万円ぐらいの安いドローンでも数十台に非常食を渡したりできるのではないか。

 報道用ヘリコプターも同様である。洪水で取り残された人を救助することはできないが,安全のための救命胴衣や,ロープを配布するとかを,報道の合間にできるのではないか。

 既得権益で,「報道することのみが仕事」とお高く止まっているマスコミ。本当に腹が立つ。どこか1社でも,ボランティア救援活動をしないものか。ぜひ,非常食,ドローンも常備して,中継にでかけてもらいたい。

 【追記】

 地元のオートバイ店の人が,スノーモビルでボランティアで現場に入って,食料を配布されたというニュースを見た。自衛隊の救援はその前に動いていたようで,このオートバイ店の方々も「許可を得てから」活動をされたそうだ。

 取材している側は,自らは何もしていないのに,ボランティア活動をただ報道するだけで,何の感慨も反省も,また今後の前向きな取り組みの提案も,ないのだなあと,改めてマスコミのいい加減さ,他人行儀さを感じる。

 インターネット時代になって,世の中のすべての人が情報発信者となった今,問題があるとするとフェイクニュースである。先のアメリカの大統領選では,メジャーなマスコミが候補者から「フェイクニュース」であるとの批判をされた。このほか多くの情報発信者が本当のフェイクニュースを発信したとされている。

 正直,筆者はアメリカのマスメディアがそれぞれ共和党寄り,民主党寄りであることを初めて知った。確かに,アメリカの新聞はいわゆる全国紙というものがない。USA Todayが唯一,全国で販売されているが,あとはそれぞれの州や市の地方紙である。

 日本のマスメディアも,それぞれ一定の思想に傾いている傾向はあるが,あからさまに比較広告をすることはなく,それなりに中立性を保っている。それだけに,マスメディアのあるべき姿は「公平な情報の提供」である。

 それだけに,ワイドショーの芸人司会者による結論誘導路線をこれまでも常に批判してきた。そもそも,ワイドショーの司会に芸人を起用すること自体が間違っている。同じ芸能人やスポーツ人のスキャンダルなど社会面だけを扱う番組なら勝手にすればいい。しかし今取り上げている新型コロナウイルス禍や自然災害などは,ワイドショーで取り上げるべき話題ではない。きちんと「報道特番」を組んで,局の編集委員の責任編集で企画させるべきである。素人のコメンテーターも不要である。

 マスコミは,もっと公平であるべきだ。報道の公平さとともに,唯一,事件の最前線に近づくことができる特権を活かした社会活動の枠を広げるべきだ。災害時にいち早く駆けつけて状況を報道するとともに,災害復旧に一番に関わるべきだ。いい加減に目を覚まして,新しい日常の中でのマスコミの存在意義を考え直してほしい。