jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

男子中心のスポーツは人類の終末を感じる--結局闘って勝敗を決めたいという理性の無さを感じる

100回目の夏の高校野球が終わった。アメリカ大リーグで大谷翔平選手が1シーズンで40盗塁-40本塁を達成した。

    スポーツの8割は男子、プロスポーツでは女子の登録はテニスとゴルフしかない。

    元々は、相手を殺すまで戦う戦争の代わりに、能力で勝敗を決めようというある意味で平和な手段として生まれたり、またエンタテインメントとしての猛獣との闘いで犯罪者を戦わせたといった残酷な時代から抜け出すために生まれたのがスポーツである。「力」の勝負なので男同士が闘うという構図が生まれ、基本的な形態は変わっていない。男女の間で体力差は明らかにあり、身長、体重、筋肉量などとともに、アドレナリンに対する闘争心の高さにも差がある。競争相手を排除して、自分がリーダーになり、群れをまとめ、子孫を残すために征服するという目的意識を強く持っているのが、生物としてのオスである男性だからである。

 同じフィールド内で、相手とぶつかり合う競技の大半は男性のスポーツである。例外としては、レスリング、柔道、サッカー、ラグビー、バスケットボールがある。

一方、コースを分け、お互いに干渉しないようにしてスピードを競うスポーツでは、男女いずれも存在しうる。テニスやゴルフもそうである。

 2024年のパリオリンピックでは、女子ボクシング競技において、元男性の選手が登場し、金メダルを獲得した。XY染色体で評価するか、男性ホルモンのテストステロン濃度で評価するか、はたまた外見的特徴で評価するかなど、波紋を広げている。

 それにしても、職業として収入の得られるスポーツとして、野球、サッカー、バスケットボール、テニス、ゴルフが世界的に存在するほか、日本では相撲が存在する。また近年、オリンピック競技となった自転車(競輪)もある。テニス、ゴルフ以外は、ほぼすべて男性の世界である。ある意味で保証された仕事を目指して、中学や高校、あるいはもっと小さいころから「勉強はしなくてもスポーツができればOK」という風潮がずっと続いている。特に、野球、サッカー、バスケでは、異常とも思える高額な契約金が支払われる。

 しかし、このスペシャリストが活躍できるのはせいぜい10年で、あとは殿堂入りしても名声は消えていく運命にある。より強く、より速く、といった視点で、薬物に走る危険性があるほか、政治の道具としても使われてしまう危険がある。

 理性なく腕力で相手をねじ伏せようとする姿は、スポーツだけでなく、政治の世界でも顕著に表れている。ここでも男性による無謀な言動や態度が目立つ。暴走を始めたら止まらないし、止められる周囲の仲間もいない。自滅するならともかくとして、周囲を巻き込んでしまったときには、人類の存続の危機さえ感じてしまう。

 若いころのスポーツの体験によって、協調性やコミュニケーション力を養える一面は確かにある。しかし、どちらかといえば競争によって孤立したり、相手を思いやったりする力が欠けてしまうことも考えられる。

 かつて、高校野球で全国一を目指して、全国から優秀な中学生を引き抜いて英才指導をした高校があった。こうしたプロ養成学校にしてしまっていいのかという疑問がある。

 学校単位でクラブ活動(部活)を学業以上に重視し、全国大会に出場し、プロを目指させるというこの図式が、かつての強いリーダーシップを求めた時代には役に立ったが、現在のようなより多様性な時代には、あまりピッタリきていないような気がする。

 ただ、力やスピードを上げるだけなら、ロボットを使えばいい。人間なら、やはり頭脳を使って、今直面している環境問題、人口問題、食料問題、温暖化問題、そして戦争問題などを真剣に考えて行動する人材を増やさないと、何時間もエンタテインメントを応援し、それをさらに情報拡散するだけに時間を費やすような生産性のない人間ばかりでは地球は滅びてしまう。大谷選手がいくらホームランを打とうが、日本がオリンピックでいくつメダルを取ろうが、地球は改善しないことを、もう一度認識すべきだと思うのである。