高校3年生の担任が化学の先生だったことが,最初の大学入試で「工学部化学系」を受験した最大の理由である。当時,石油コンビナートからの油漏れ事故が瀬戸内海で多発していた。海洋汚染の問題,公害の問題など,高度成長期の日本のマイナスの面が露呈していた時代である。「環境を蘇らせる仕事をしたい」と強く思った。
しかし,受験には失敗した。当時はまだ浪人で勉強しなおすことに寛容だった。理系を目指す高校の同級生も,8割が受験に失敗した。それでもみんな高見を狙っていた。
浪人中,担任の影響から解き放たれ,自分の人生をもう一度考える時間ができた。理系の中でも,医学部は元から興味も意欲もなく,またサイエンスの世界に没頭する理学部という線もなかった。モノづくりに関わる工学部が自分に合っていると思ったが,化学も電気も航空も土木建築も,あまりにも細分化されているように見えた。そこで,モノづくり全般に関わる機械系とより環境に近い環境工学系を目指し,翌年は合格した。
この時点ですでに,スペシャリストではなくジェネラリストの道を歩み始めていたようである。4年後の就職活動段階で,複数のメーカーや交通機関などにアプライしていたが,最後の最後で踏ん切りがつかなかった。モノづくりの現場といっても工場である。伝統工芸の手作りとは違う。自分のペースで仕事ができるのか,不安がよぎった。
その中で出会ったのが,SC(サイエンス・コミュニケーション)である。もちろん当時はこんな洒落た言葉はなかった。ますます専門化する技術や科学を分かりやすく伝えるメディアとの出会いである。新聞でいえば科学技術面である。
SCの仕事も多岐にわたる。メディアもそうだが,博物館や動物園,水族館の学芸員もSCの仕事を担っている。
しかし,筆者の選んだメディアの仕事は,筆者の人生を象徴する特徴を持っていたと,分析している。それは「人に直接関わらない」仕事だったということである。
最終的にお客さんに情報を届けるにしても,目の前で案内したり解説したりするわけではない。極めて身勝手な仕事を選んだものである。
これでは,お客様に直接接する営業職もできないし,人を雇って使う経営者にもなれない。もちろんあらゆる接客業も無理である。医療関係もダメ,看護・介護関係もダメと,自分の選択の幅が極めて狭いことに気づく。
そのために,他人との関わりから生じるストレスに悩まされることもほとんどなかった。あったのは同僚・先輩など社内の人間関係だけだった。
かつて中学生のときには,「政治家になって日本を良くする」と本気で思っていたのだが,政治が「交渉(ネゴシエーション)」「忖度」「妥協」「根回し」そしてカネがモノを言う世界だと知って,筆者の真逆の世界であり,その世界で活躍している政治家は,ある意味で敬意を払いたいぐらいである。ここにトランプ大統領の「ディール」が加わって,ますます遠ざかってきた。
政治家が相手にする人々も多種多様だし,一般人も多種多様である。筆者はそうした世界を避けてきた人生だったようである。他人の人生に直接関わることもコミットすることもしなかったから,大げさな人生でもなく,逆に無風のうちに終われるのかもしれない。匿名でブログをブツブツと綴っているのも,他人の人生にコミットしない方法だからだと思う。