jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「尽くす」ことの2つの立場について

 「尽くす」という言葉を考えてみた。同義語には,奉じる,仕える,努める,仕る,捧げる,などがあるようだ。英語でいうとserveあるいはassistか。意味からは,「奉仕する」「助ける」ということになるだろう。

 尽くされる相手は,2つの立場が考えられる。

 まず,困ったり動きが取れない相手の場合は,尽くす側が主体的になる。ボランティアや医療などにおいては,尽くす側が「主」,尽くされる側が「従」という立場になる。この場合は,尽くす側は“自発的に尽くす”ことになる。

 次に,相手が腕力や体力,そして権力などを持っている場合は,尽くす側は「従」になる。尽くされる側がまさに「主人」であり,尽くす側は「従僕」であり「家来」である。この場合は,尽くす側は“命令に従って尽くす”ような立場にある。

 一般的に女性は,尽くす側に立つことが多いように思う。主体的に医療やボランティアで活動する場合は前者だが,相手が男性の場合は,結婚を含めて後者の側に立ってしまうことが多い。夫は主人,妻は女中。そしてセックスでは男性の言うなりにならざるを得ないのが実情である。

 夫婦における一般的なこの主従関係は何とかならないのかと,いつも考えている。女性が生活力を持つことが一番の解決法だと考えるが,その場合でも果たして男性が家庭の中で女性に“尽くす”ことができるのだろうか。食事,洗濯,掃除,育児など,家事の一部をシェアするのが精一杯で,100%家事を引き受けることはしないのではないか。

 家庭に入ることが,女性にとって「従」の立場を受け入れることと同義になることが,残念でたまらない。この件は,引き続きもっと考えたいと思っている。