jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

「女子力」って結局は逃げではないのか

「女子力」という言葉をよく聞くようになった。「あざとい」という言葉もよく聞く。

  男性から見た女性に対して「女子力」というのは、男性の願望であり、支配したい側の論理である。しかしこれを女性側が自分に対して言うのは、いかがなものか、と思うのである。結局、男性の望むような女性であることを自ら認め、男性の言いなりになっているように思える。

 その昔、「私、作る人、あなた、食べる人」というキャッチフレーズが議論の対象になった。男女で役割を分けようという意味にとって、噛みついた訳だが、今の「女子力」議論では、これと同じ役割分割を女性自身が認めた印象があるのである。

 商品コマーシャルを見ても,化粧,脱毛,痩身,サプリが半分を占めるような印象である。もちろん,女性が自らを輝かせるために努力することは重要である。外面的な輝きももちろん重要であり,これは男性についても同様なはずである。たしかに最近は,男性化粧品,男性脱毛も市民権を得てきた。しかし,痩身については,ほぼゼロ,サプリについては,怪しげな強精サプリばかり目につく。

 行動面でも「女子力」と呼ばれるケースは多い。しかし,行動面での呼び方は「気配り」と言えばいいのではないかと思うし,これは別に女性に限ったものではない。男性も気配りをすべきなのである。

 筆者の記憶の中で,中学生のときに担任の先生から褒められたことが1つある。そのときの筆者の行動は,プリントを壁に画鋲で留める際,紙の角を折って留めていたのである。風が吹き抜ける教室で,プリントが飛ばされることが多かったため,このような方法を特に意識せずに採用していたのだが,他人に評価されるとうれしいものである。後から考えると,これは気配りである。

 「女子力」と言ってしまうと,女性が異性のために発揮する魅力のように聞こえてしまう。そしてそれは,古い価値観の中に自分を埋めてしまうことにならないか。最終的に,自分が求めるものと異なる環境の中で苦しむことになるのではないか。

 あえて女子力という言い方をすることに,疑問を抱くのである。