jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

ドローンを「ロボット」と定義することを提案--人殺しのツールにしてはならない

2000年から始まったウクライナ紛争,2023年から始まったパレスチナガザ地区での紛争で,新しい攻撃手段として登場したのが,「自爆ドローン」である。ただドローンと言っても飛行機型であり,飛行手段をミサイルのロケットエンジンからプロペラに替え,羽根を大きくして浮力を得るという一種の「簡易ミサイル」である。無線誘導ないしGPS誘導で目標に突っ込む。コントロール自体はミサイルと大差ない。ミサイルが1点目標で大きな破壊力を発揮する目的なのに対して,自爆ドローンは同時に広範囲を攻撃できる。対抗する防衛システムがミサイル方式なので,防衛システムを無駄打ちさせて消耗させるという効果もある。

 筆者は「ドローン」という言葉の響きが嫌いで, UAV(unmanned aerial vehicle)を本来は使いたいと思っている。2011年の東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所が水素爆発した際,上空から様子を初めて撮影したのも飛行機型の国産UAVだった。その後,4軸以上の垂直プロペラを搭載した垂直離着陸型のドローンが一般化し,風景の撮影に使われ,競技としても認知され,災害時の物資輸送でも使われ始めた。かつて,ラジコンの飛行機やヘリコプターを趣味にしている人の話を聞いたことがあるが,河原などの広い場所が必要だったり,メンテナンスが大変だったりするということだった。しかし,バッテリーで飛ばせる小型ドローンは,手軽な上に,コンピュータによる安定制御で比較的操縦も容易なことから,あっと言う間に一般化してしまった。

 4軸以上の垂直プロペラをモーターで回して飛び立つときに「ブーン」という音が,まさにドローン(ミツバチ)なのだと納得してしまっているのだが,自爆ドローンのような兵器にも同じドローンという言葉が使われることに抵抗がある。

 「ロボット」が「働く」という意味の言葉から生まれた概念で,人と共同して人の役に立つ存在で,人に危害を加えない,というロボット3原則がある。自動制御される機械なので,人間を襲うようなプログラムを搭載できるため,それをしてはならない,とコンセプトの登場当初から戒めていたのである。

 ところが,人型の2足歩行ロボットや,イヌ型の4足歩行ロボットの技術が急速に発達し,武器を搭載して兵士の代わりに戦場に投入されるのも目前な状態になっている。世界には攻撃・防衛のための機材の展示商談会が開かれており,その中でもロボットが取り扱われるようになってしまった。「これはロボットだから,戦争の武器としては使ってはならない」と言う人がいなくなってしまった。

 武器を搭載して相手を攻撃する能力を持つという意味では,自爆ドローンはミサイルに代わるコストパフォーマンスの高い武器となっており,イランや北朝鮮でも量産が進められている。

 コンピューターを搭載し,自力で移動して作業を行う機械をロボットと定義するなら,4足犬型ロボットも自爆ドローンもすべて「ロボット」である。ロボットに武器や弾薬を搭載することは,ロボット3原則に反した行為になる。ドローンを「ロボット」と定義することで,人殺しのツールにしてはならないと再認識してほしい。

 しかし,戦争には多くの兵士が投入され,最前線での人的被害はなくならない。双方がロボット兵器を投入したら,それはもはやテレビゲームの世界になってしまう。そこまで金と国民を導入してまで,戦いをする必然性がどこにあるのだろうか。話し合っても平行線を辿ることは確かだが,どこかに接点がないとも限らない。話し合いで解決することはできないものだろうか。

 紛争が遠い他国の出来事としてしか感じられない日本だが,昨今の闇バイトによる襲撃など,腕力で行われる犯罪も一種の侵略戦争である。指示役によって金で釣られた実行役に犯行を行わせ,指示役は捕まらないという構図は,机上のゲームを実社会に展開しているようで,その指示役の心理状態を考えると恐ろしくなってくる。自己満足のための行動が,ひょっとしたら社会を巻き込んで大変な世の中になってしまわないかと心配になる。昨今の自治体トップや政治団体トップの言動や選挙戦にも,同じような違和感を持っている。