jeyseni's diary

「ジェイセニ」と呼んでください。批判ではなく提案をするのが生き甲斐です。

すべての争いは「自己チュー(自己中心)」から生まれる--SNS,犯罪,そして戦争

世界の中心はどこにあるのだろうか,と考えたとき,どうも人間というものは「自分が世の中の中心にある」と思ってしまう性質を持っているようである。いわば,自己チュー(自己中心)である。すべてのイザコザや争いは,ここから生じていると考えられる。

 自己チューは,自分が他人より優れている,という意識である。多くの場面で他の人と自分を比べている。その違いを認めて受け入れるか,それとも自己主張するかで,関係性は変わってくる。「みんな違って,みんないい」がすべての人の考え方なら,争いは起きないはずである。日本の八百万(やおよろず)の神伝説も,それぞれの立場を受け入れるところで成立している。

 犯罪は自己チューである。自分の欲や利益が唯一の価値で,他人の益を害する行為である。そこまで切羽詰まった状況を作らないようにするのが行政の仕事である。

 SNSも自己チューのメディアである。こういう情報発信をしたら,その発言を見た人がどう思うかを考えずに,ストレートに発言する。対話と違って一方的な主張の塊が相手に伝えられる。もちろん,賛同を得たいがための発信だろうが,反対意見があることを意識していない。多くのSNSが文字での発信なので,発信前に読み返して表現を工夫する余地はあるのだが,ストレートに表現したまま発信されることで,誤解を生じることもある。読み手がどういう捉え方をするか,曲解されないか,そういうことを考えた発信をするという訓練が求められるのがメディアなのだが,SNSは考え方がストレートに伝わってしまう危険なメディアなのである。

 炎上は,野次馬が匿名で拡大してしまうので,厄介である。しかもSNS上の発言は取り消すことができず,延々と拡散していく。むやみに名指しで批判することは注意しなければならないが,なぜか多くの有名人が不用意なコメントをし過ぎる傾向がある。

 相手の存在そのものを否定した自己チューが,戦争である。まさに侵略である。自分たちの主張を通すため,交渉の手段として相手を攻撃すれば,反発されるのは当たり前である。そこに宗教や政治理念が絡んでくるから厄介である。

 しかも,現代の戦争では,ミサイルにしてもドローンにしても,「機械任せ」で相手を攻撃し,発射した本人は知らんぷりである。こんな無責任な行動があるだろうか。

 相手のことを考えて,リアルな話し合いの場でお互いの主張を確認し,譲歩し,妥協点を探る。それが人間に与えられた知恵だと思う。AIの登場で,ひょっとしたら「機械任せ」でもいい結論が出ることを期待している筆者だが,AIがベースとする知識そのものが歪んだ思想を持ってしまう危険性も否定できない。AIが出す答えに人類が納得して従うだろうか。そこにまた人間の自己チューが働き,スイッチをオフにする段階が生まれるだろうか。いや,AIそのものが自らをストップさせるというSF的な結末になるのだろうか。

 地球温暖化と新型コロナという問題があったのに,人類が一致団結できていないことに,ちょっとした失望を覚えている。